山本敦久・成城大教授
オリンピアンはこれまで、五輪の舞台で政治的な発言は慎むように求められてきました。五輪憲章に明文化され、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長もその伝統を変えるつもりはない。IOCのアスリート委員会も会長の意に沿う形で従っています。アスリート自身が感じる違和感など表現の自由を奪われ、非政治的な空間に閉じ込められています。
ただ、考えようによっては、アスリートたちはその空間に守られ、批判を受けない場所で甘やかされてきたとも言えます。日本でも、陸上の女子選手ら一部には自分の意見を明確に発信する選手も出はじめましたが、少数派です。
多くの競技の選手にとって、五輪は自らの存在価値をアピールし、知名度を上げる展示場になっています。テニス、ゴルフ、サッカー、野球のようにプロの興行が隆盛を誇る競技は別として、マイナーといわれる競技になればなるほど、五輪への依存度が高くなります。魅力を伝えるための選択肢や可能性があるはずなのに五輪に頼ってしまう。だからIOCに反旗を翻すのをためらってしまう。
新型コロナウイルス禍の今…