ミャンマー、重なる済州島の惨劇 25日慰霊祭
軍隊が民衆に銃口を向け、大勢の人々が命を奪われる――。ミャンマーから伝えられる惨劇を目にし、詩人の金時鐘(キムシジョン)さん(92)=奈良県生駒市=は73年前に故郷の韓国・済州島で見た光景がまぶたに浮かんで安眠できないという。強いられた死を見過ごさず、無念さに想像力を働かせてほしい。25日に大阪からオンライン中継される「済州島4・3事件」の慰霊祭でのメッセージに思いを託す。
「情け容赦なく、命令通り動くよう徹底的に仕上げられているのが軍隊だ」。自国民へのミャンマー軍の残虐行為を、金さんは自身の体験をもとに指摘する。
1948年4月3日。済州島で南朝鮮だけの単独選挙に反対する島民らが粗末な武器を手に蜂起した。民衆のデモやストライキに対する警察や右派団体の弾圧が背景にあった。
鎮圧にのりだした警察や軍は、蜂起勢力がこもった山間部などの集落を無差別に焼き尽くし、住民も巻き添えになった。この年の8月15日の韓国政府樹立を挟んで虐殺は続き、死者は数万人に及んだとされる。
この「済州島4・3事件」で金さんは蜂起側の連絡員となって官憲に追われる身となり、翌49年5月、島を脱出し、親類を頼って大阪の猪飼野(いかいの)へ逃れた。
韓国は87年の民主化まで軍事独裁政権下にあった。80年には全斗煥(チョンドゥファン)ら軍強硬派のクーデターが起き、反発する大勢の学生や市民らが軍に銃殺、撲殺される「光州事件」も起きた。
ミャンマーでいま民主化を求める市民らが銃撃で次々と死傷している。日々伝えられる惨劇に金さんは、民主化を求める民衆の訴えが軍靴で封殺された韓国のかつての姿を重ねる。
同時に、済州島で目にした凄惨(せいさん)な死の数々が記憶の底から呼び覚まされた。
背後から連射され、頭部をとばされた仲間。放置されて腐乱した死体。数珠つなぎにくくられ、砂利浜に打ち上げられた水死体。
「死を強いられた死者は決して美しいものではない。放置された死者ほど、この世で醜く、おぞましく、汚いものはない」
済州島4・3事件は軍事独裁下の韓国で長年、「赤色(共産)暴動」としてタブー視された。98年に就任した金大中(キムデジュン)大統領が事件の真相究明に着手。2003年には盧武鉉(ノムヒョン)大統領が「国家権力の過ち」と認め、遺族への補償などが進んだ。
「在日」を生きる金さんは、事件の死者たちとどう向きあうべきかを考えながら詩作を続けてきた。
今月2日、済州島で韓国の芸術家らが開いた追悼イベントで、金さんの作品のひとつ「四月よ、遠い日よ。」が朗読された。
〈ぼくの春はいつも赤く/花はその中で染まって咲く。/(中略)/踏みしだいたつつじの向こうで村が燃え/風にあおられて/軍警トラックの土煙りが舞っていた。〉
済州島にルーツをもつ同胞が大勢暮らす大阪で25日、遺族らが「在日本済州四・三犠牲者慰霊祭」を開き、オンライン中継される。金さんは事前収録のメッセージで、強いられた死を「犠牲者」と呼ぶことへの違和感を伝えるという。
「犠牲とは何かの本義のために死ぬこと。残虐な形で死を強いられた人々を犠牲者と呼ぶと、残忍でおぞましいことが崇高なものとされ、透明化される」。無残に殺された人々の姿を思い浮かべ、死を追体験することが追悼につながるという金さん。ミャンマーでの死者にも思いをはせる。
慰霊祭は午後2時から大阪市天王寺区の統国寺である。寺には18年に建てられた「済州四・三犠牲者慰霊碑」がある。事件で島から逃れて来た高齢者が年々他界している。在日本済州四・三犠牲者遺族会会長の呉光現(オグァンヒョン)さん(63)は「軍事独裁の記憶におびえて当時のことを何も語らず、時計が止まったまま亡くなった人もいる」と、体験者の心の傷の深さを語る。慰霊祭は動画サイト、ユーチューブで配信される。(0425jeju43osaka)と検索すれば見られる予定…