「しくじり先生」になりたい バスケ日本代表選手の決意

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小俣勇貴
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 いつか「しくじり先生」として教壇に立ちたい。2018年のアジア大会で不祥事を起こしたプロバスケットボールB1京都ハンナリーズの永吉佑也(29)が教員免許の取得を目指し始めた。昨秋から佛教大の通信制で高校の地理・歴史の教職課程を受講している。

バスケットのエリート人生

 身長198センチ。センターやパワーフォワードを任される大男が、小さいノートパソコンのキーボードを丁寧にタイプする。「日本国憲法の授業で『法の下の平等』を学んだんです。すごく難しかった」。毎日2時間、教科書を読み込み、リポートをまとめる。試合に向けての移動中や遠征先でも、日課となっている。

 バスケット一筋の人生だった。鹿児島県出身。宮崎・延岡学園高では、3年生の時に全国高校総体で準優勝。「勉強に対しては、ちょっとひどかったかなあ。バスケットさえやっとけばいいという考えもあったので」。推薦で進学した青山学院大では全国制覇に貢献。日本代表にも選ばれた。

 在学中に教職課程の履修もできた。親から勧められ、関心はあった。「学ぶことの楽しさは覚えたけど、部活がきつくて……。両立は難しかった」と断念した。卒業後にNBLの東芝神奈川(現B1川崎ブレイブサンダース)に進んだ。

 17年に京都へ移籍すると、岡田優介(36、現B2アースフレンズ東京Z)に出会った。10年に公認会計士の資格を取得していた岡田は、選手生活と仕事や勉強の両立を実践していた。

 そんな姿に刺激を受けた。「バスケット一本で頑張ることはいいこと。ただ、一人の大人として、いろんな知識を自分で勉強することもとても大事。感化されました」。30歳を目前にセカンドキャリアも意識するようになった。

 「オファーがある限り、現役を続けたい」という永吉だが、「やっと時間もお金も余裕ができて、手がつけられた」と勉学との両立に踏み出した。

「死にたい」という気持ちが変わった

 多くの選手が引退後にBリーグクラブの指導者を目指すが、永吉は教師という選択肢にこだわった。自身が初めて経験した「大きな失敗」があるからだ。

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 18年8月、日本代表の一員…

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