リーチ、「誰かのために」の原点 リーダーを育んだ環境

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野村周平 中川文如
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 20日に開幕したラグビーのトップリーグで、日本代表主将のリーチ・マイケル(32)=東芝=が久々に元気な姿を見せた。

 トヨタ自動車に33―34で競り負けたものの、伸びやかに突破する姿を随所に見せ、「最後まであきらめずに80分間戦えたのは次につながる。僕らしいプレーが少しずつできてきて、ラグビーが楽しくなってきています」と笑顔を見せた。

 2019年ワールドカップ(W杯)日本大会では日本代表を初の8強に導いた。活躍の舞台は、グラウンド外にも広がっている。そのひとがら、多様な選手をまとめ率いるリーダーシップはどのように培われたのか。

 19年3月、リーチはモンゴルの大草原にいた。W杯日本大会の開幕が半年後に迫っていた。

 日本に留学する学生を自らスカウトするためだった。日本の高校で練習し、社会人のトップリーグで活躍する選手に育てば、アジアラグビーの発展につながる――。そんな考えによる留学プログラムの実現を、現地の協会と約束していた。

 モンゴルのラグビーは弱く、練習環境も整っていない。それでも磨けば光る人がいる。スカウトしたダバジャブ・ノロブサマブー(17)はレスリングの経験があり、180センチを超す身長と手足の長さが魅力的だった。4人きょうだいの末っ子。移動式住居のゲルに住んでいた。

 「家族の生活を助けたい」

 そんなハングリー精神は、成長の支えになると思った。

 大相撲の横綱白鵬ら、モンゴル出身力士を見て、「モンゴル人は体が強い。ラグビーをやったらいい選手になる」と考えていた。日本代表の遠征でアジアを回った時、散歩しながら経済的に恵まれない人々の暮らしも目の当たりにしていた。

 リーチ自身も、留学で人生が一変した。15歳のころ、ニュージーランド(NZ)の高校から札幌山の手高校に。日本を代表するアスリートになったいま、こう思う。

 「僕が日本に来られたのは周りがチャンスを作ってくれたから。僕も若い人にチャンスを与えたい。経験を伝えたい」

 昨年12月、リーチは8人の選手らと一緒に「JiNZ(ジンズ)プロジェクト」を立ち上げた。人材の「ジン」、さらに日本とNZの国の頭文字から名付けた。チャリティーイベントの開催、ラグビーに限らない学生スポーツの支援など五つの柱を掲げる。中でも留学支援は大切な事業だ。「JiNZでサイクルを作りたい」。持続可能な流れになるまで走り続ける覚悟だ。

     ◇

 リーチの社会貢献の始まりは、プロ選手になってから立ち上げた「リーチ基金」だった。母校の札幌山の手高校に来る留学生のため、同校出身選手が毎年お金を出しあって、後輩の用具や食事などの足しにする。そんなサイクルを作りたかった。

 「留学生の世話は(佐藤)幹夫(みきお)先生がずっと1人でやっていたから」

 日本に来たばかりの自分を支えてくれた恩師の負担を少しでも軽くしたい。その思いが原点にある。

 困っている誰かのために自分のお金や時間、経験を惜しみなく出す。そんなリーチの生き様に大きな影響を与えたのが、父コリンさん(64)の存在だ。

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 エンジニアのコリンさんはど…

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