第1回除染請け負い1人日当3万5千円 沈む農村に沸いた特需

有料記事「除染特需」の果て

小手川太朗 飯島啓史
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 福島県の沿岸部と内陸部を分ける阿武隈山地。標高数百メートルの緩やかな山々に囲まれた高原地帯に、田村市の移(うつし)地区はある。JR山手線の内側より一回りほど小さな農村に約1850人が暮らし、特産品の葉タバコや、冷涼な気候を生かして野菜を栽培する。

 2011年3月11日、地区は震度5強の地震に襲われた。中心部で小さな縫製工場を営む石井鉄雄(73)は翌日、自宅のテレビで東に約35キロ離れた東京電力福島第一原発1号機が水素爆発したことを知る。午後6時25分には原発から20キロ圏に避難指示が出され、沿岸部の住民がバスで市内の体育館に避難してきた。石井は「(移地区は)原発から離れているので、大したことないべ」と思っていた。

 しかし14日以降、3号機と4号機が続けて爆発し、緊張が高まった。誰が作ったのか、「西に逃げろ」と書かれたチラシが地区に出回り、1人、また1人と逃げた。石井は「残ったのはじいさん、ばあさんだけだった」と話す。それから1週間後、地区で栽培する野菜に、国が次々と出荷制限をかけた。ホウレン草、キャベツ、小松菜……。多くの農家はその年の作付けを諦めた。混乱が収まらない中、誰もが沈む地区の行く末を不安に思った。

 その年の秋ごろだった。石井は知り合いから「避難指示区域外の除染は地域住民でもできる」と聞いた。除染とは、放射線量を下げるため、地面の表土をはぎ取り、住宅の壁や瓦を洗浄し、雨どいの泥をかき出す作業だ。福島県と周辺7県の計100市町村で行われた。多くは建設会社が請け負い、国の予算4兆円以上が使われた。

 地域にもたらされた巨額の除染マネー。その功罪を伝える3回の連載です。

 調べると、除染は特別な資格…

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連載「除染特需」の果て(全3回)

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