阪神大震災の光景 介護保険「生みの親」が見た「未来」

有料記事介護とわたしたち

聞き手・有近隆史 畑山敦子
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 1995年1月に起きた阪神・淡路大震災の際に訪れたある場所で、介護保険の必要性を痛感したと語る元厚生労働官僚がいます。香取照幸さん(64)。香取さんは1990年代に旧厚生省で介護保険の制度設計を中心となって担った人物です。震災の現場で何を感じ、2000年度に始まった介護保険制度に何を託し、いま制度に対して何を思うのでしょうか。話は個人の尊厳や社会論にも及びました。

現場と一緒に作った制度

 ――介護保険制度が始まって20年。現時点での評価は

 介護保険の議論をしていた1995年、阪神大震災が起きて、その2週間後ぐらいに神戸に入りました。日本初の社会福祉法人「福生会」の中辻直行さん(故人)と付き合いがあって、激しい火災があった神戸市長田区にあるデイサービスセンターに会いに行きました。

 センターの中は避難してきた人でごった返していた。そこら中に布団が敷いてあって、足の踏み場もないほどでした。

 その光景を指して、中辻さんは言いました。「香取さん、これは日本の未来だよ」って。「きっと日本はこうなるよ。今、20年後の未来を目の前で見ているんだよ」。今でもよく覚えています。

 高齢社会を迎えることが分か…

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