若い世代の取材に「なぜ許せぬ」桐野夏生さんが疑う正義
寄稿・桐野夏生さん
小説家になって、26年という月日が経った。小説家という仕事は、それこそ「生産性」という意味で言えば、無駄な存在だが、違和感を糧として仕事をしてきた自分たちには、また別の感受性を培ってきたという自負がある。
私には、「何か変じゃない?」という違和感がすべてだった。
その違和感こそが、新しい扉を開ける鍵で、別の世界を創り出すと信じて大切にしてきた。
しかし、今、その違和の質は大きく変容してきている。
『OUT』という、主婦パートの物語を書いたのは1997年だ。
当時は、夫がホワイトカラーという家庭で、なぜ妻はパート労働というブルーカラーになるのか、という疑問があった。
パートは代替可能な単純労働で低賃金、景気調節の安全弁を担いもするから、労働者としては、まことに不利だ。つまり、家庭内の性別役割が税制にも反映され、そのまま主婦の労働形態になっていることへの違和であり、疑問だったのだ。
ところが、10年後は労働市場の規制緩和により、女性だけではなく、若い男性の非正規雇用も進むことになる。
『OUT』の取材当時、「娘…