大江戸線20年 乗客数右肩上がりも、コロナ禍で減少

長野佑介
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 東京都が4番目につくった都営地下鉄大江戸線」が全線開通して、12日で20年を迎える。難工事で生まれた路線は、街の発展に合わせるように乗客数が増え続け、都内の交通網に欠かせない存在になった。節目の年はコロナ禍に伴う乗客の激減に見舞われた。立て直せるかは、新たな魅力の創出にかかっている。

 「環状でないものを造っておいて、『東京環状線』なんてとんでもない」

 2000年12月の全線開通にあたり、石原慎太郎知事(当時)が選考委員会が有力視した名称案を否定したように、都庁前駅でつながるものの、一時は構想された「環状運転」は実現しなかった。

 名称が「大江戸線」に決まるまでの曲折から一転、全線開通後は乗客数が順調に伸びた。翌01年度の1日平均51万人から右肩上がりに上昇。昨年度は2~3月にコロナの影響を受けたにもかかわらず、過去最多の97万8千人を記録した。

 背景には都の担当者も「想定以上だった」と語る沿線である臨海部マンション建設ラッシュがあった。

 「客足の伸びを象徴する出来事」と担当者が振り返るのが、19年2月に行われた勝どき駅(中央区)のホーム新設だ。駅の乗客の1日平均は01年度の2万8千人から、昨年度は5万4千人まで増加。混雑緩和のため、地下2階にあるホームを二つに増やした。

 増え続けたインバウンド訪日外国人客)も後押しした。沿線には、外国人客に人気がある新宿や六本木駅のほか、羽田、成田両空港へのアクセスがよい大門駅があるためだ。

 それにブレーキを掛けたのが、コロナ禍だ。現在の乗客数は前年比3割減程度で推移し、収支にも大きな痛手となりそうだ。

 乗客数を押し上げてきた都心回帰という流れも、コロナ禍で変わった。都によると、都内の人口は4カ月連続で転出超過で、11月時点では7月に比べて3万6千人近く減っている。

 三菱UFJリサーチ&コンサルティングの藤田隼平(しゅんぺい)研究員は「長期的には、東京の人口は減る。今後は移動の足としての利便性を追求するだけでなく、移動そのものを楽しめる工夫を凝らすなど、あえて大江戸線を利用したいと考える人を増やす努力も重要になってくる」と話す。

 快適性の向上には、車内の騒音対策が不可欠だ。難工事により路線にカーブが多いためで、長年の課題だった。都は、レール上に摩擦調整剤を塗ってスムーズな車輪の回転を模索するなど対策をしてきたが、コロナ禍が続くうちは換気で車内の窓を開けるため、効果を実感しにくい。

 都営地下鉄では車いすやベビーカーの利用者に向けたフリースペースを採り入れる動きも進む。一方、大江戸線ならではの取り組みも。昨年7月、一部車両にアニメ「きかんしゃトーマス」で装飾した子育て応援スペースを導入した。都営地下鉄で唯一、他社線との相互直通運転をしていないのを生かして、子育て世代へのアピールに力を入れている。(長野佑介)

     ◇

 〈大江戸線〉 1991年12月に光が丘―練馬間が部分開業。その後、網の目のように張り巡らされた地下鉄や高速道路の脚の間をすり抜ける工事によって延伸を繰り返し、2000年12月12日に全線で開業した。都庁前―光が丘間を「6の字」に走り、総延長40・7キロは国内の地下鉄で最も長い。38ある駅数も、都営地下鉄4線(浅草、三田、新宿、大江戸)では最多だ。

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