第1回人が人として扱われなかった 名簿が刻む戦中の強制労働

有料記事強制労働の痕跡

阿久沢悦子

 今年8月、戦後75年の取材で浜松市天竜区の峰之沢鉱山を訪れた。戦時中、日本政府は銅を増産するためここに中国人や朝鮮人を連れてきて働かせた。国や鉱山会社の資料などによると、飢えと過酷な労働で中国人の4割が死亡し、朝鮮人の半数が逃亡した。

 労働力不足の穴埋めを安易に海外に頼った末に破綻(はたん)する――。時代状況はまったく違うが、コロナ下で困窮する外国人技能実習生の姿が私には重なって見えた。この国で、時に人が人として扱われないのはなぜか? そのことを見つめ、考えるために、強制労働の足跡を各地の廃鉱跡に訪ねた。

異国で命を落とした者のため、一人で上げる経

 1945年1月、峰之沢鉱山に中国・河北省から197人が連れてこられ、鉱石のより分けや運搬などに従事した。実家の敷地に中国人を収容するための建物が建てられた当時、藤下(ふじした)今朝男(けさお)(83)は7歳だった。「刈り取り前の麦畑がつぶされた。食べ物がない時代だったから、恨めしくて」

 中国人は毎朝歌いながら鉱山に向かった。藤下は栄養失調で体中にできものがあった。中国人も同様に痩せ、疲れてみえた。「静岡県峰之沢鉱山中国人俘虜(ふりょ)殉難者慰霊報告書」によると、移送の途中で15人、鉱山では3カ月で66人が疥癬(かいせん)や大腸カタルで死んだ。

 53年には華僑総会や日本赤十字でつくる慰霊実行委員会が遺骨を中国に返した。75年、日中友好協会の浜松・磐田両支部が峰之沢の墓地に「殉難慰霊碑」を建てた。

この国で、時に人が人として扱われないのはなぜか?強制労働の痕跡を各地の廃鉱跡で探す全5回の連載。初回は静岡の鉱山跡です。

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