日系人、遠く感じた日本 来日30年、サンバが広げた輪

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森岡航平

 戦乱や災害からの避難、新しい働き方や生き方の模索――。大都市圏から近い北関東は、いにしえから大勢の人々を受け入れ、癒やし、時に送り出してきた。困難に負けず、たくましく、しなやかに、花を咲かせようと生きる移住者を紹介します。

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 ブラジルから取り寄せた大型の羽根飾り。足りないものは見よう見まねで手作り。本場さながらの熱演が注目を浴び、サンバパレードを目当てに20万人以上が集まることもあった。19歳で来日した群馬県大泉町古氷の日系ブラジル人3世、角田(かくた)ルミさん(50)が率いるサンバチーム「UNIDOS DA TOKA(ウニドス ダ トカ)」はこの夏、結成30年目を迎える。

 その歩みは、移民として海を渡った人たちがルーツの日系人が、日本に根付く共生の歴史と重なる。

 1990年、バブル景気の好況に沸く日本では、労働力不足を背景に改正入管法が施行され、日系人の長期就労が認められた。角田さんは2年間の「デカセギ」のつもりで、法改正を機に両親らと来日した。

 最初は町内の大手電機メーカーの工場で派遣社員として働いたが、言葉が通じず、スーパーでの買い物さえままならない。「顔も血も全部、日本人。でも多くの人はそう受け取ってくれない」。ブラジル・サンパウロの家では箸を使って食事をするなど、生活は日本式だった。ブラジルでは「自分は日本人」と自負していたのに。日本を、遠く感じた。

 工場を1年ほどで辞め、友人と東武小泉線の西小泉駅近くで喫茶店を始めたことが、その後の生き方につながる転機となった。

 現在は人口の2割弱を外国籍…

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この記事を書いた人
森岡航平
政治部|与党担当
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国内政治