三島由紀夫が「ちゃぶ台返し」 転生描いた遺作めぐる謎

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太田啓之
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 三島由紀夫(1925~70)の遺作にして、最大の問題作とされる輪廻(りんね)転生の物語「豊饒(ほうじょう)の海」。三島はこの作品の完結日を自決の日と同じにし、しかも作品世界全体を否定するかのようなどんでん返しの幕切れとした。三島の真意は何か。彼にとっての「文学」の意味を読み解く。

 『豊饒の海』は三島由紀夫が65年から死に至るまで書き続けた最後の、最長の、そして最も謎に満ちた小説だ。全4巻構成で、第3巻までの主人公は20歳かその直前に死亡し、次の物語では「同じ魂を持つ別の人間」として転生を繰り返す。

作品完結の日を割腹自殺の日と同じに

 長年、三島を研究してきた白百合女子大教授・井上隆史さん(57)によれば、三島は作品を通じて一貫して歴史や社会と対峙(たいじ)してきた。「『豊饒の海』ではその集大成として、日露戦争から太平洋戦争敗戦、復興に至る日本近現代史の全容を照射し、現実を変革する鍵を見いだそうとした」とみる。三島自身、執筆中は「世界解釈の小説」とする野心を隠さず、最終部を「幸魂(さきみたま、神道で幸福をもたらす魂)へみちびかれゆくもの」としていた。

 だが、実際に書かれた物語では第4巻の終盤、最後の転生者が「偽物」だったことが判明。しかも、輪廻転生を見届けてきた副主人公・本多は、第1部の主人公・松枝清顕(まつがえきよあき)とかつて熱烈な恋愛をしたはずの老尼僧から「松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか」と告げられる。すべては本多の見た幻だったのか。なぜ、三島は作品世界全体を破壊するような幕切れを選んだのか――。

 もう一つの謎は、原稿の最後に三島が「『豊饒の海』完 昭和四十五年十一月二十五日」と記していたことだ。なぜ、作品完結の日を割腹自殺の日と同じにしたのか。三島の文学と思想・行動はどう結びついていたのか――。

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