コロナとハンセン病、重なる記憶「人間弱くなったかな」
田辺拓也
【動画】差別や偏見を体験してきた国立ハンセン病療養所の入所者は、何を願っているのか=田辺拓也撮影
瀬戸内海の島に、日本初の国立ハンセン病療養所「長島愛生園(あいせいえん)」(岡山県瀬戸内市)が開園して20日で90
年となった。高齢となった入所者は、コロナ禍の医療従事者らへの中傷にかつての自分の体験を重ねる。差別と偏見の歴史を繰り返させまいと、次世代に記憶をつなぐための取り組みが続く。(田辺拓也)
島での暮らしが70年を超す中尾伸治さん(86)は、愛生園の北側の浜で足を止めた。「ここが家族や社会との本当の別れの場所だった」。目線の先には老朽化で崩れかけた桟橋がある。
1988年に橋がかかるまで島への移動手段は舟しかなく、患者の多くは対岸からここへ運ばれた。愛生園の職員は別の桟橋を使ったため、「収容桟橋」と呼ばれた。中尾さんが奈良市の実家を出て、医師や保健師らと島に降り立ったのは14歳の夏。自身がハンセン病とは知らされず、治ればすぐ島を出られると信じて疑わなかった。
桟橋のすぐ先にあり、当時のまま残る平屋建ての建物が患者を収容した「回春(かいしゅん)寮」だ。
薬品入った風呂に入浴・診察3日「怖くて寂しくて」
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患者はまずここで消毒用の薬…
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