「おかえり、ノムさん」愛憎半ばの南海の本拠跡地に遺品

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稲崎航一
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 ノムさん、南海に帰る――。プロ野球の南海ホークス(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王に輝き、ヤクルトや楽天で監督を務め、2月に亡くなった野村克也さん(享年84)の遺品などが、大阪・難波のなんばパークスにある「南海ホークスメモリアルギャラリー」に展示されることが4日、発表された。

 南海OBで、現役時代に野村さんとバッテリーを組んだ江本孟紀さんが発起人となった。なんばパークスは南海の本拠地だった大阪球場跡地。この日、江本さんと南海電鉄の和田真治・執行役員らが大阪市内で記者会見し、「おかえり!ノムさん 大阪球場に。」と銘打ったギャラリーのリニューアル計画を発表した。

 江本さんは「野村さんは名将という印象が強いが、王さん、長嶋さん、張本さんと並ぶスーパースター。その現役時代を送ったのが南海ホークス。それを野球ファンの皆さんにもう一度認識してほしかった」と思いを話した。

 野村さんは京都・峰山高からテスト生として1954年に南海に入団。59年には故・杉浦忠さんとのバッテリーで、日本シリーズで巨人に4連勝した。

 65年に戦後初の三冠王に輝き、70年には兼任監督に就任。73年にリーグ優勝するなど輝かしい実績を残したが、「公私混同」などが騒動となり、77年に監督を解任された。

 その後、ロッテ、西武に移籍して80年に現役を引退したが、この南海解任時の経緯があり、「メモリアルギャラリー」には野村さんのユニホームも名前もなかった。

 今回江本さんが遺族の承諾、南海電鉄の協力を得て、「ホークスを彩った名選手」パネルに野村さんの名前を残したり、コレクション展示ケースを増設したりする運びとなった。ギャラリーのリニューアル費用はクラウドファンディングで支援を募る。43年ぶりに、野村克也が南海に帰ってくる。

 問い合わせはリニューアル計画の実行委員会事務局(06・6191・6109)へ。

愛憎半ば、心のふるさとだったホークス

 戦後初の三冠王。5度のMVP。巨人を倒して日本一となった御堂筋パレード。最高の功労者でありながら、野村克也さんに南海のことを聞くのは「タブー」だった。

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 1977年、野村さんは「公…

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