不妊治療、保険適用に切実な声「授かるまで400万円」

及川綾子 市野塊
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 高額な費用のかかる体外受精などの不妊治療に対して、菅義偉首相は、公的医療保険の適用を打ち出しました。デジタルアンケートでは多くの人が賛成でした。治療費が払えずに諦めざるを得ない、仕事との両立や周囲の無理解に苦しんでいるといった切実な声も届きました。不妊治療の今と配慮すべき課題について2回にわたって考えます。

6年で2000万円 両立断念

 デジタルアンケートに寄せられた声の一部を紹介します。

●病院選びの難しさを実感

 不妊治療を始めて、病院選びの難しさを感じている。治療成績や方針は各病院それぞれで比較しづらく、高額な治療をするにもかかわらず、自分に合うかが分からない。いくつか病院を回ってみると、卵巣を刺激する方法などはばらつきがあり、病院の方針によって違いすぎる。他で聞いてきたことを質問してみると、医学的に説明するよりも病院の方針だからと回答されることも少なくない。こういった病院間の治療の差があると、患者はどう選ぶのが良いのか本当に分からない。(奈良県・20代男性)

●非難やプレッシャー不安

 私自身は産まないことを選び、子どものいない人生を、仕事においてもプライベートでも、それなりに充実させ楽しんできました。保険適用には賛成ですが、「保険も使えるのになぜ治療を受けないのか」という疑問や、非難やプレッシャーを受ける女性が増えるかもしれない点だけには不安を感じます。(東京都・60代女性)

●仕事と治療の両立できず退職

 結婚と同時に職責者となり、すぐに妊活ができませんでした。病院勤務でしたが、上司や同僚も不妊治療を理解している人は少なく、自分自身も受け止めきれない検査結果や身体の状況を逐一報告するのがつらかったです。資料を作成して渡しても大変さが想像できないようで、仕事と両立が出来ず退職しました。(神奈川県・40代女性)

●負担軽減なら第2子も

 妻が23歳から治療を始め、3年半かかり現在授かりました。助成金は全然足りず、合計で260万円が治療費に消えました。不妊治療が保険適用になるのならば、かなり経済的負担が軽減され、第2子も考えたいです。育児面でのサポートも強化してほしいです。(愛媛県・20代男性)

●20代でも悩む夫婦はたくさんいる

 妊活中の26歳です。不妊・不育は高齢女性の自己責任という人がいますが、20代でも子に恵まれず悩んでいる夫婦はたくさんいます。しかし、20代夫婦の収入は多くありません。金銭面で治療に踏み切れずにいる間に年をとり、結果妊娠率が下がります。不妊治療も不育治療も早急に保険適用していただきたいです。(埼玉県・20代女性)

●借金して不妊治療

 授かるまでに400万円、不妊治療に使いました。世帯年収は700万円ぐらいです。金銭的にかなりきつく、借金して不妊治療をしていました。借金返済はしばらく続きます。金銭的な理由で不妊治療を諦めた方もいますし、金銭的な理由でステップアップをためらう方もいます。不妊治療をしている人=子どもが欲しい人なのだから、少子化対策として保険適用や助成金の大幅増額を充実させるのは、とてもありがたいと思います。(埼玉県・40代女性)

●医師同士でも意見違う

 3年治療している医師です。この治療の問題点については医師同士でさえ意見が食い違い、患者が心理的、経済的、社会的に追い詰められていく点にあるかと思います。不妊治療についてはしっかりとした世界的論文や業績を吸収し、医師側で1本筋が通るような全国共通のガイドラインを作成すべきと考えます。そのガイドラインを逸脱するような診療行為については保険外診療でもよいかと考えます。(宮城県・30代男性)

●年齢制限は必要

 不妊治療を6年行い、2千万円を費やした。2度の流産を経て心身ともに疲れ果て、今年で治療を諦めた。仕事を辞めたら体調が整って妊娠できるかもしれない、でも治療を続けるには稼がなくては……。そんな思いに苦しみながら仕事を続けた。今まで全く進まなかった議論が、首相が代わった途端に動き出したことに驚きと憤りを感じる。保険適用には賛成だが、年齢制限は必要だと思う。金銭的な負担が減ることで、治療のやめ時を決められなくなる恐れがある。子どものいない家庭は税金を納めても恩恵は少なく、これ以上不満が高まることがないよう望む。(大阪府・40代女性)

●産む・産まない自由の尊重を

 子どもを産むか産まないかは本人の自由。その自由意思を尊重しなければならない。(北海道・30代男性)

禁煙治療は保険適用なのに

 禁煙治療、ギャンブル依存症が保険適用であるにもかかわらず、不妊治療や出産関連は保険適用にならないことが日本の政治家が高齢男性に偏っていることを象徴していると感じます。助成金では一部の層しか救われません。「やっている感」を出す政策ではなく、平等に受けられる医療が日本の健康保険制度には必須だと思います。(東京都・20代女性)

混合診療の解禁を提案

 混合診療を解禁し、最低限の医療を保険で保障して、オプション部分は自費や民間保険で賄う二段構えが良いと考えます。(千葉県・50代男性)

●産む前も後も支援必要

 保険適用などの話題が出ると、必ず「それより産んだ後の支援を」という声が上がるような印象があるが、少子化対策というのであればどちらが重要ということはなく、どちらも必要だと思う。順序がついてしまうことは致し方ないが、最終的には産む前の支援、産んだ後の支援両方ともに実現されることを望む。子供が欲しい人、欲しくない人、夫婦共働きで子育てしたい人、専業主婦・主夫で子育てをしたい人、どの人も希望の形での生活を実現できる形になっていってほしい。(東京都・30代女性)

菅政権の目玉政策 スピード議論 「制度設計に現場の声を」

 体外受精や顕微授精などの高度な不妊治療は、重い費用負担が課題です。不妊に悩む人を支えるNPO法人「Fine(ファイン)」の調査(2018年度)によると、通院開始からの治療費の総額が100万円以上という人の割合は、56%に上りました。

 菅義偉首相は就任時の会見で、「出産を希望する世帯を広く支援し、ハードルを下げていくために保険適用を実現する」と少子化対策の目玉として打ち出しました。15日の全世代型社会保障検討会議では「保険適用を早急に検討し、年末に行程を明らかにします」と明言し、「適用までは、現行の助成を大幅に拡充します」と述べました。

 体外受精と顕微授精は、今年度の場合、治療開始時に妻の年齢が44歳未満で、所得の合計が730万円未満の夫婦が、1回15万円(初回は30万円)までを通算3回(妻が41歳未満の場合は6回)まで受けられる国の助成制度があります。今回、所得制限の緩和や、事実婚の夫婦まで対象を広げることが検討されています。

 不妊治療への支援拡充の機運は与野党ともに高まっています。自民党の「不妊治療への支援拡充を目指す議員連盟」は、1回の助成額を30万円(初回40万円)までに倍増し、所得制限を外すとする草案を示し、年末に向けて提言をまとめる予定です。立憲民主党も2月、休暇制度の創設や治療費の助成拡大といった提言を作りました。

 田村憲久厚生労働相は11日のNHKの討論番組で、「助成金は義務的な経費ではないので、予算がなくなれば切られる怖さがある。保険適用で安定性が生まれる」として、保険適用の方向を強調しました。

 厚労省は、実態把握のために今年度、約600施設に治療の内容や治療別の費用を調査し、当事者約千人にもインターネット調査を予定しています。

 保険適用を少子化対策の文脈で語ることには、疑問の声も上がっています。また、当事者が望むのは経済的負担の軽減だけではありません。

 30代の当事者たちでつくる「不妊・不育治療の環境改善を目指す当事者の会」は7月、自民党の議連に約1万筆の署名を提出しました。保険適用にあたっては、施設間の知識や技術格差を是正する認定制度や、統一した基準での治療実績の開示ができる制度を求めています。また、制度設計には、臨床現場の専門医や現役の当事者からの意見を聞くように要望しました。(及川綾子)

体外受精の子 16人に1人

 不妊とはカップルが妊娠を希望しているのに、一定期間にわたって妊娠できないことです。日本産科婦人科学会(日産婦)はこの一定期間を1年としています。

 原因は女性だけでなく、男性や男女両方にある場合があります。女性では排卵がうまくいっていなかったり、精子や受精卵が通る卵管がつまっていたり、精子が子宮に届かなかったり。男性では精子がつくられなかったり、運動性が悪かったりすることが考えられます。

 一般的に不妊治療は、①タイミング法=女性の排卵期を調べて、妊娠しやすい時期をねらって性交するよう指導する②人工授精=洗浄・濃縮した大量の精子を注入器で子宮内に入れる③体外受精=膣(ちつ)内から卵巣に針を刺して卵子を取り出し、体外で精子と受精、できた受精卵を子宮に戻す、と段階を追ってステップアップしていきます。

 体外受精は培養皿内で卵子に精子をかけて受精させます。精子の数が少ないなど受精が難しい場合には、顕微鏡を使って小さな針で卵子の中に精子を直接注入する顕微授精という手法もあります。一般的に段階が進むほど費用は高額になります。

 日産婦の調査では、顕微授精を含む体外受精で生まれた子どもは、2018年に過去最多の5万6979人。厚生労働省の統計では18年の総出生数91万8400人のうち、16.1人に1人が体外受精で生まれた計算になります。10年前の08年には50.3人に1人でした。体外受精の総治療件数は18年が45万4893件(前年比6683件増)でした。

 不妊治療が増えている理由として、晩婚化が指摘されています。女性は加齢によって、卵子の質が低下したり、子宮内のこぶ、子宮筋腫などが生じて受精卵が着床しにくくなったりするため、体外受精の成功率が下がるとされます。男性も精子の量や運動性が落ちると言われています。(市野塊)

対象範囲や医療費への影響議論

 不妊治療が保険適用となるまでには何が議論されるのでしょう。

 日本では全員が公的医療保険制度に加入することになっていて、医療費は被保険者の保険料や公費などで構成されています。患者が受ける診療には、医療行為ごとに細かく値段(診療報酬)が決められています。原則として2年に1度、厚生労働相の諮問機関である中央社会保険医療協議会で審議が行われ、その結果に基づいて厚労相が決定します。高齢化を背景に医療費は右肩上がりで、2019年度の医療費は43.6兆円(対前年度比1兆円増)でした。

 制度に詳しいニッセイ基礎研究所の篠原拓也主席研究員は「体外受精や顕微授精に保険を適用するには、有効性と安全性の確認が必要になります」と話します。有効性については「女性の年齢や治療回数などに応じて妊娠・出産に至った割合を見ながら適用の線引きをするのではないか」と説明。安全性については、治療に伴う母体や子どもへの医学的なリスクの検討を見通します。

 篠原さんは「事実婚を含めて非配偶者間のケースをどこまで対象とすべきかや、医療費財源に与える影響も検討されるでしょう」とし、加えて患者の心理面のケアや、社会のサポートについても議論が必要だと考えています。

患者のため 精緻な仕組みを 吉村泰典・元日本産科婦人科学会理事長

 保険適用によって、経済的負担が軽減される。国がここに目を向けたことは、不妊に悩むカップルにとって一つの光が見えたことでしょう。

 「不妊症」の原因は多様で、中には分からない人もいます。すべてが果たして病気かと問われれば、例えば体外受精を受けている40歳の人は、28歳の時だったら治療をせずに妊娠できたかもしれません。しかし、若いうちに仕事をしながら子どもを授かれるような社会のシステムではないのが現状で、社会が生み出した不妊と言えます。わらをもつかむ思いで子どもが欲しい人たちのために、保険適用という考え方はあっていいのではないでしょうか。

 ただ、制度設計を精緻(せいち)にしないと、かえって患者さんが不利益を被ることを危惧します。

 今まで、日本は海外の成功事例をすぐさま採り入れ、世界でもトップレベルの治療をしてきましたが、保険診療だと導入まで3、4年かかるかもしれません。

 不妊治療は、年齢や本人たちの状態を踏まえてベストな方法を選択するオーダーメイドで、一定の標準を決めるのは難しい。標準から外れたものがオプションとなれば、保険と保険外を併用する「混合診療」となります。原則禁止されている混合診療は大きな課題になるでしょう。

 また、これまで自由に価格を決めていたものが保険診療になることで、クリニックの収入が減り、腕のよい医療スタッフが雇えずに治療の質が下がったり、閉院したりするところが出てくるかもしれません。

 喫緊にできることとすれば、助成制度の所得制限を廃止するといった支援になるでしょう。

 保険適用は、少子化を解決する一助としてはいいですが、根本的な手立てとまでは言えないでしょう。選択的夫婦別姓や未婚のシングルマザーといった多様性を認める社会を醸成し、未来を作るのは女性と子どもであるという意識がなければ少子化は克服できません。

 子どもを産まない選択をする人もいます。保険適用で変なプレッシャーにならないように、その人たちへのサポートも同時に考えていく必要があります。(聞き手・市野塊、及川綾子)

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 寄せられた2998回答は、20~30代が8割以上でした。当事者はもちろん、これから子どもが欲しいと考える人や、友人が治療中の人など多くの若い世代が「我がこと」として捉えていると感じました。それでも、まだまだ治療について周囲には言いづらい、理解や協力を得にくいという回答が多かったです。

 今回の議論は、不妊治療の経済的な負担だけに終始するのではなく、当事者やこの問題を考える人が社会に何を求めているのかという声に、真摯(しんし)に向き合うべきだと思います。

 それは、少子化対策ではなく、治療中の人たちが生きやすい社会をつくるということです。まずは、仕事と治療が両立できるように、育児や介護、がんの治療などと同様の仕組みを整え、当たり前のように治療に取り組める雰囲気の醸成が、第一歩ではないでしょうか。(及川綾子)

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