子ども食堂、黄信号の子を可視化した 湯浅誠さんの理想

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聞き手・中塚久美子
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 1990年代からホームレス支援にかかわり、2008年の失業者救援の「年越し派遣村」村長などを経て、現在、子ども食堂に軸足を置く社会活動家の湯浅誠さん。NPO法人「全国こども食堂支援センター・むすびえ」の理事長として、「現在地」にいたるまでの思いを聞きました。

〈ゆあさ・まこと〉 社会活動家、東京大学特任教授。1969年生まれ。90年代からホームレス支援に従事し、2001年に自立生活サポートセンター・もやいを設立。08年末に「年越し派遣村」村長。09~12年、内閣府参与。

――派遣村では連日、パーカ姿で官僚や政治家と折衝する姿がメディアに映し出されました。湯浅さんを印象づける出来事でしたが、2013年に急に「キャラ」が変わりましたよね。あの時、理由を尋ねたら、言葉を濁されました。今ならお話しいただけますか。

 派遣村の後、内閣府参与を通算約2年やりました。自分が関わってつくれた予算が約60億円。国家予算の1万6千分の1でした。アドバイザーの立場で部下もいない。そんなもんでしょと言われたらそうですが、もう少しやれるんじゃないかと期待をもって入った。でも、簡単じゃなかった。

朝日地球会議にも登壇

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 一つ一つの予算の先には人々…

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