東大寺七重塔の謎に迫る 鎌倉期の復元案二つ、図面で

有料記事

渡辺元史
[PR]

 奈良の大仏で知られる世界遺産東大寺にかつてあった東塔(とうとう)(七重塔)はどんな姿をしていたのか。奈良文化財研究所(奈文研)が、その謎に迫る復元案を作製し、発表した。高さ100メートルとも言われる塔の復元案は二つ。鎌倉時代に再建を託された2人の高僧のそれぞれの案を推測したところ、興味深い特徴がみえてきた。

 東大寺の東塔は奈良時代の750~760年代に大仏殿の南東に建てられた。1180年に平氏の南都焼き打ちにあい、東塔を含む多くの伽藍(がらん)が焼損した。その後、伽藍の再建が進められることになった。

 当初、東大寺の復興にあたったのが重源(ちょうげん)(1121~1206)だったが、工事が始まる前に死去した。実際の工事は、臨済宗の開祖・栄西(1141~1215)が引き継いだ。こうした事情から、東塔の再建は、重源と栄西のどちらの構想で進められたのかがわかっていない。

 奈文研は、栄西が再建を引き継いだ際に、重源の構想を踏襲した場合と、踏襲しなかった場合を想定し、2人がそれぞれ関わった東大寺の現存建築などを参考に2案をまとめた。

 重源の復元案は大仏様という…

この記事は有料記事です。残り1073文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません