戦時下、作家の山本有三は沈黙を強いられた。それでも次代に望みをつなぎ、新憲法の口語化などに動いた。その思いは生きているか。75年前に立ち返り、今を見すえる。
児童書で示した「ギリギリの抵抗」
戦争の時代を超えて、読み継がれてきた児童書がある。「君たちはどう生きるか」。主人公の少年がおじさんとの対話を通じて、社会や生きることについて考え、成長していく物語だ。
初版本は日中全面戦争が始まった翌月の1937年8月に出版された。80年後の2017年に出された漫画版は200万部を超える大ベストセラーになった。
生き方すら自由にならなかった時代の問いかけが、不安に覆われる今の社会にも通じるということか。
栃木県栃木市出身の作家・山本有三が中心となって編集した「日本少国民文庫」の一冊として出版された。「少国民」は天皇に仕える小さな皇国民という意味だが、1935年から37年にかけて刊行された全16巻の文庫は、軍国主義とは対極にある人道主義に満ちていた。「心に太陽を持て」「人類の進歩につくした人々」などの題名がそれを物語っている。
東京・三鷹市山本有三記念館の三浦穂高学芸員(35)は解説する。
「子どもに読ませたい本が見当たらない、という有三の思いが出発点だったようです。『世界を見る目と広遠な志を持ってほしい』という文章も書いています」
若者の命が奪われていく時代にあって、有三は次代を担う子どもの教育に強い思いを抱き続けた。日米開戦翌年の42年7月には三鷹市の自宅を「ミタカ少国民文庫」として近所の子らに開放し、蔵書や買い足した本を自由に読ませた。44年に閉じた後も、三鷹、栃木両市の小学校に約2千冊の児童書を寄贈した。
「君たちはどう生きるか」の初版本は、有三と吉野源三郎(1899~1981)の共著となっているが、実際は有三が吉野に執筆を任せた。戦後、雑誌「世界」の編集長を務め、平和運動家としても知られた吉野は当時、失業中だった。有三が文庫の編集主任として起用した。
吉野は満州事変が始まった31年、治安維持法違反で1年半投獄された。有三は吉野の身元引き受け人でもあった。吉野は後にこんな文章を残している。
「弾圧のすさまじかった時期…