難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性に頼まれて殺害したとして医師ら2人が起訴された事件は、私たちに重い問いを投げかけました。苦しみを抱える人が、死ではなく「生きる」を選べる社会にするにはどうすればよいのか。難病の人たちの生き方と、それを支えるものを取材しました。
私が「内なる優生思想」を脱した転機 ALSの舩後議員
こちらの記事では、ALS患者の舩後靖彦参院議員が、働き盛りにALSを発症した時の苦悩と、生きようと思うようになった転機を振り返ります。
臨床哲学者と作家が語る 難病患者の「生きる意味」
臨床哲学者の清水哲郎さんは、体が動かせない人も社会の役に立っていると言い、ドリアン助川さんは社会の役に立つという価値観から一度離れてみては、と語ります。
「家族も生きられない」 10年かけようやく
事件のことはニュースを見た娘(19)が教えてくれた。「ママ、死なないでね」と言われ、「うん」と答えた。
東京都の酒井ひとみさん(41)は2010年にALSと確定診断されたとき、涙をぬぐえなかった。すでに顔の表情と指先しか動かせなくなっていた。生きる意思を支えたのは家族だ。「勝手な考えかもしれませんが」と前置きし、こう振り返る。「自分がいないと、まだ幼かった娘や息子が生きていけるか心配だった」
一方で、夫(40)に別れを切り出した。介護の負担をかけるのが申し訳なかったから。夫は「できる限りサポートする」と言ってくれた。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
運動をつかさどる神経に障害が生じて脳の命令がうまく伝わらなくなり、筋肉が弱る難病。徐々に体を動かすのが困難になっていくが、通常は視覚や聴覚は損なわれない。現時点では、根治する治療は見つかっていない。国の統計によると、国内の患者は少なくとも9805人(2018年度末)。
自分が生きることで家族の自由を奪ってしまう。振り切れぬ迷いを抱えつつ、そうさせないために10年間、行政と闘い続けた。
公的サービス「重度訪問介護」の利用を申請したが、当初は1日約3時間、12年に気管切開により呼吸器をつけても13時間しか認められなかった。障害者総合支援法の6段階の支援区分のうち、ALSなどの難病や脳性まひなど重い方の3区分の人が受けられるが、時間は自治体が決める。夫と、片道2時間かけて自宅に来てくれる母はどんどん疲弊した。
「このままでは家族も私も生…