向き合い続けた命と安楽死 また町に戻って牛を飼いたい

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福地慶太郎
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 福島県富岡町で畜産を営んでいた坂本勝利(かつとし)さん(82)は、原発事故の後も手塩にかけた牛たちと向き合ってきた。避難先の田村市から毎日のように車で片道1時間余りかけて通い、世話を続けたが、除染のために処分を決断。でも、再び町に戻って牛を飼いたいと願う。

繁殖してはいけない命

 坂本さんは農家の3代目。約7ヘクタールの農地を持ち、先代から継いだ苗木や米に加え、40代後半のころに黒毛和牛の肥育を始めた。雌牛に子牛を産ませ、さらに子牛の肥育もする「一貫経営」に取り組んできた。

 原発事故の8年前、有名な血統の雌牛を10頭買った。相性の良い種牛が見つかり、肉質などが最も高い「A5ランク」を量産。経営は軌道に乗っていたが、事故で一変した。「筆舌に尽くしがたいほど、憤懣(ふんまん)やるかたなかった」

 川内村、郡山市と避難先を移したが、その間も富岡町に残してきた牛に水やわらをやるために通った。雌牛10頭と子牛13頭を見捨てる気にはなれなかった。

 苦難は続く。政府は2011…

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