終戦から1年後、親友は死んだ 浜辺を漂っていた機雷

有料記事戦後75年特集

清野貴幸
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 太平洋戦争が終わった翌年の初夏、高知県香南市の浜辺で機雷が爆発し、9歳から14歳までの子ども9人の命が奪われた。「終戦の日」から1年近く経っても、戦争の被害は続いていた。爆発で親友を失った男性は、母校で平和の尊さを語り継いできた。

 香南市赤岡町の土佐湾。近くに住む大前岩保(いわほ)さん(86)の案内で現場を訪れた。「(機雷は)岸から1メートルばあの所に浮いちょった」。コロナ禍で中止になったが、大型連休には毎年、地元産のイワシの稚魚を味わう「どろめ祭り」でにぎわう砂浜だ。

 7月上旬、大前さんは「もう耳も遠いし、この話をするのはあんたが最後かも分からん」と話し、74年前の記憶をたどった。

 1946年6月、その日は波もなく穏やかな日だったという。赤岡国民学校(今の市立赤岡小学校)の6年生だった大前さんは、1学年下の親友、「本田かねさだ」さんと浜辺に来ていた。波間に大きな金属製の物体が漂っていた。

 大前さんは「機雷だ」と思った。漁師の父の手伝いで沖に出た時、父から聞かされていた。機雷は旧日本軍や米軍が海中に投下して仕掛けた兵器だ。戦後も回収・処理されなかった分がたびたび漂着したのを大前さんは記憶している。一方で、海の浮遊物に集まる習性があるシイラを狙って、機雷に近づいて漁をすることもあったという。

 「あそこに浮いちゅうやつは機雷じゃあ」。角のように何本か突き出ている部分に触れば爆発する危険性を年下の親友に伝え、2人で帰宅した。途中、ふざけて「どっかーん」と爆発音のまねをすると、親友が「驚かすな」と顔色を失うほど怖そうにしたという。

 家に戻ると、母から浜辺に近…

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