1945年6月、学徒報国隊として働く17歳の少女の日記は、その日ひときわ文字が揺れていた。
『愛国といい、忠誠という。果たしてその名に恥じぬ自分か。ああ、神鷲(わし)たち。特別攻撃隊』
『国賊 何と恐(こわ)い言葉だろう。国が上進(進学)を許しているのに 苦しい』
東京都中野区の野瀬節子(ときこ)さん(93)の自宅に、古びた数冊のノートが残る。
戦況が悪化する中、その1年前から、広島県呉市の海軍航空廠(しょう)で航空機の発動機を造っていた。特攻隊の航空機だと聞かされた。
3交代制で、夜通し働くこともあった。一方で、作業の合間に教師を目指して勉強を続けた。女子専門学校に合格した。
ある日、進学を予定している生徒だけ集められた。
海軍の将校が言った。
「国破れて何が学問や。進学す…