第5回国への奉仕疑わぬ軍国少女、戦後誓った「自分で考える」

有料記事戦後75年 コロナ禍の夏に

三輪さち子

 1945年6月、学徒報国隊として働く17歳の少女の日記は、その日ひときわ文字が揺れていた。

 『愛国といい、忠誠という。果たしてその名に恥じぬ自分か。ああ、神鷲(わし)たち。特別攻撃隊』

 『国賊 何と恐(こわ)い言葉だろう。国が上進(進学)を許しているのに 苦しい』

 東京都中野区の野瀬節子(ときこ)さん(93)の自宅に、古びた数冊のノートが残る。

 戦況が悪化する中、その1年前から、広島県呉市の海軍航空廠(しょう)で航空機の発動機を造っていた。特攻隊の航空機だと聞かされた。

 3交代制で、夜通し働くこともあった。一方で、作業の合間に教師を目指して勉強を続けた。女子専門学校に合格した。

 ある日、進学を予定している生徒だけ集められた。

 海軍の将校が言った。

 「国破れて何が学問や。進学…

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