拡大する「ナスカの地上絵」のように見える日本軍が造った塹壕(ざんごう)。左奥に同行取材した調査団の車が見える=2019年5月26日、モンゴル・フイ高地、ドローンで調査団撮影
1939年8月20日に始まったソ連の総攻撃で、フイ高地にいた23師団捜索隊759人中、脱出できたのは269人だけ。その一人が、当時上等兵だった矢仁田(やにた)繁人だ。2015年に死去した矢仁田は09年5月、91歳だったときに熊本県山都町の自宅で取材に応じ、「フイ高地の戦いは今も忘れられんです」と語った。
8月20日、猛烈な砲撃が始まりました。ハルハ河が見える南の方角から撃ってきましたです。
拡大するノモンハン事件に従軍した当時の矢仁田繁人さん=本人提供
あんな戦闘は初めて。いや、あんな撃たれっ放しの戦闘は初めてでした。向こうの方が標高が高いですから、撃ち下ろす感じ。こちらが1発撃てば100発撃ち返されましたです。榴弾(りゅうだん)が多かったとです。ドンッとはぜるのと同時にバッと音がして、刀のように細長い鉄の破片をまき散らします。これに当たればおしまいでした。
陣地には、深さ1・5メートル…