サイダー瓶投げ戦車に対抗 兵を脱出させた部隊長は自決

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矢仁田繁人上等兵 ノモンハン従軍記

 1939年8月20日に始まったソ連の総攻撃で、フイ高地にいた23師団捜索隊759人中、脱出できたのは269人だけ。その一人が、当時上等兵だった矢仁田(やにた)繁人だ。2015年に死去した矢仁田は09年5月、91歳だったときに熊本県山都町の自宅で取材に応じ、「フイ高地の戦いは今も忘れられんです」と語った。

 8月20日、猛烈な砲撃が始まりました。ハルハ河が見える南の方角から撃ってきましたです。

プレミアムA「ノモンハン 大戦の起点と終止符」

日本が初めて近代戦に直面したとされるノモンハン事件。このシリーズは現地調査や最新の知見も交え、当時の日本が直面した戦争の諸相を浮き彫りにします。全3章です。

 あんな戦闘は初めて。いや、あんな撃たれっ放しの戦闘は初めてでした。向こうの方が標高が高いですから、撃ち下ろす感じ。こちらが1発撃てば100発撃ち返されましたです。榴弾(りゅうだん)が多かったとです。ドンッとはぜるのと同時にバッと音がして、刀のように細長い鉄の破片をまき散らします。これに当たればおしまいでした。

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 陣地には、深さ1・5メート…

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