「死認めて」が奪う生きたい意欲 れいわ・舩後氏の懸念

有料記事れいわ

田中陽子 畑山敦子 森本美紀
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 全身の筋肉が衰える難病「筋萎縮性側索硬化症」(ALS)の女性患者=京都市=から依頼を受け、薬物を投与して殺害したとして、2人の医師が嘱託殺人の容疑で京都府警に逮捕された事件。ALSの当事者や、生活を支える人たちはショックを受けつつ「どんなことがあっても障害者が生きることを否定してはいけない」と訴える。

ALS患者「孤独感、孤立感に悩む」

《自身もALS患者で、NPO法人「境を越えて」理事長の岡部宏生さんの話》

 とても残念な事件が起こってしまった。患者の背景はわからないが、このような依頼をしなければならなかったとしたら、非常に悔しく、悲しい。

 私は48歳でALSを発症し、死にたいと何度も真剣に思った。でも社会の支援を受けて、こうして生きている。生きてみようと思えたのは、明るく前向きに他の患者や家族の支援をしている先輩患者を見たからだ。あんなふうに生きたいと思うようになった。

 ただ「生きたい」と「生きていける」とは違う。介護保険や障害者の生活支援サービスを十分に受けられ、介護者を確保できなければ、すべて家族に頼ることになる。経済的なことも含めて家族に負担をかけたくない、と生きることをあきらめる患者は多い。私も介護態勢をつくるまでに時間がかかり、ぎりぎりのタイミングで人工呼吸器をつけられた。

 「安楽死」には明確に反対だ。「安楽死」と同じように社会で使われている言葉に「尊厳死」があるが、自分でご飯を食べることや排泄(はいせつ)ができなくなるのは尊厳を失うことなどとされる。そうなのか。もしそうなら私は尊厳を失って生きている。

 尊厳という言葉でくくるからわかりにくくなってしまうが、尊厳死を選ぶということは、自分はこういう状態なら生きていたくないということ、つまり自殺そのものだ。これから社会の中で安楽死が議論されるなら、自殺をどう考えるのかを明確にしてほしい。

 今回はSNSを通じて患者と医師が知り合ったと報じられている。ALS患者は強烈な孤独感や孤立感に悩まされているので、その心の穴を埋めたくてSNSにつながりを求めることがあるかもしれない。コロナ禍では今まで以上に孤立しやすく、こうした傾向が強まらないか心配だ。

生きて行くことを支えるのが医師の務めでは

《ALSの母の介護経験があり、難病患者の生活支援に取り組むNPO法人「ALS/MNDサポートセンターさくら会」副理事長を務める川口有美子さんの話》

 障害や病気のある人は大変でかわいそうだから、死んだ方がいい、という意見に賛同する人は世の中にたくさんいる。今回の事件で、さらにそう印象づけられてしまうことを懸念する。

 活動的に生活しているALS患者はたくさんいる。その患者たちも発症当初は「安楽死したい」と言う。体は変化し、人の助けが必要となり、どうやって生きていけばいいのかわからない、と。

 そんな患者を叱咤(しった)激励し、生きていくことを支えるのが医師の務めであるはずだ。どんなにつらい症状でも、たとえ治すことはできなくても、生きることを否定してはいけない。

 私はALSだった母を介護し、みとった。障害や病気があっても、かわいそうではなく、支えがあれば絶望から立ち直れることを、母との経験やたくさんの人から教えてもらった。その後、生きていてよかったと患者が思えるような支援やその方法を広げる活動をしてきた。このような事件が起こり、本当にショックだ。

死にたいと思わせる環境変えるのが社会の責任

《難病や障害のある人の自立を…

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