「きれいよ」そう言った母 私の命と引き換え、光失った

有料記事戦後75年特集

聞き手・新垣卓也
【動画】戦後75年。まだ間に合う。ことばを、かたちを、未来へ
[PR]

 広島と長崎に原爆が投下されてから、この夏で75年になります。朝日新聞は被爆60年にあたる2005年から今年まで5年ごとに、被爆者の方々にアンケートを依頼し、体験や思いを記事にしてきました。過去4回のアンケートすべてに答えてくれたのは155人。その方々に、次世代や世界へ伝えたいことを聞きました。

寺田美津枝さん(74)=広島市

 あの日、母は爆心地から約2キロ離れた広島駅の近くにいました。「B29だ」。前にいた兵隊がそう言った瞬間にピカッと光り、意識を失ったそうです。両目や体のあちこちにガラス片が突き刺さり、目が見えなくなりました。手術をすれば少し視力が回復する可能性もありました。でもおなかの中には私がいました。悪影響を考え、母は手術を受けませんでした。自分の目と引き換えに、私の命を選んだのです。

 母は全盲でも強く生きました。お乳を飲ませるのにも一苦労。時刻表が見えず、目的のバスに乗れないことだってありましたが、私たち5人のきょうだいを育て上げ、弱音を一切吐かない気丈な人でした。

ここから続き

 「きれいよ」。51年前、私…

この記事は有料記事です。残り264文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

戦後75年特集

戦後75年特集

2020年は終戦75年の節目です。あの時のことを語れる人は減ってきています。まだ、間に合います。戦争を知る人々からのバトン、受け取りませんか。[もっと見る]