第14回「現地集合で」低迷作った2人の合言葉 背中追った柳田

新型コロナウイルスの影響で延期になった東京オリンピック。突如できた1年の空白期間は、アスリートたちにどう影響するのか。担当記者が探りました。

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 バレーボール男子日本代表27人のうち、五輪を経験しているのは、パナソニック福沢達哉(34)と清水邦広(33)しかいない。

 高さとスピードが武器で右の福沢、「ゴリ」の愛称でパワフルな左の清水。2人は2005年に代表に初選出された。日本が16年ぶりに五輪に出場した08年北京大会は5戦全敗に終わり、12年ロンドン、16年リオデジャネイロは2大会続けて最終予選で敗れた。

 リオを逃して引退に傾いていた福沢は清水に引き留められた。「たくさん悔しい思いをしてきたけれど、最後は2人で笑って終われるようにやっていこうや」

 福沢は責任を強く感じていた。「男子バレーの低迷期を作ってしまったのが僕ら。清水の一言が踏みとどまらせてくれた」

 その後、清水はけがに苦しむ。16年12月に右足を疲労骨折して離脱。18年は右ひざ靱帯(じんたい)を断裂した。「見舞いはいいから試合に集中して」とチームに伝えたのに福沢はすぐにやってきて寄り添った。清水はつらいリハビリに耐え、昨年、代表に復帰した。

 昨年のワールドカップでは、福沢が西田有志石川祐希に次ぐチーム3位の81得点を挙げた。ジャンプ力が落ちた清水は、力に頼るアタックをやめた。「8割くらいの力で、決めることを考えて打つ」と35得点。戦い方に幅をもたらし、日本は1991年以来7大会ぶりの4位に入った。

「北京で勝てなかった悔しさ」

 2人は代表の後輩たちに何度も五輪の厳しさを伝えている。「北京で勝てなかった悔しさを持っているのは、僕らしかいない」

 福沢は昨季、妻と4人の娘を日本に残し、フランスのパリでプレーした。「日本では自分の実力が見えていた。リセットしたかった」。一からレギュラーをつかみ、プレッシャーのかかる試合も経験した。コロナ禍でリーグは中断。3月に帰国した後、東京五輪の1年延期が決まった。

 「もう1年やらなきゃいけないのか、と。あと2年だったら厳しかった」。心は再び揺れたが、気持ちの整理をつけ、来夏に挑む。

12人に絞られる、険しい競争

 五輪の登録メンバーは12人に絞られる。「リオまでは2人で手を取り合っていた。この4年間、そんな余裕はなかった。若手との競争に勝たないと」と福沢。清水も同じだ。「福沢を助けている場合じゃない。自分のことでいっぱいいっぱい」

 今回はそれぞれの道をはい上がり、一緒に有明アリーナのコートに立とう。12年間、五輪を追い続けてきた2人には合言葉がある。

 「現地集合で」

 その時、石川、西田、柳田将洋ら脂の乗った若手に、一回り大きくなったベテランの経験値が加わる。木村健一

バレーボールの現在地

 日本代表は男女ともに五輪開催国枠で出場する。男子は五輪1次リーグで世界選手権2連覇中のポーランド、リオデジャネイロ五輪銀メダルのイタリア、イラン、カナダ、ベネズエラとともにA組に入った。日本にとって、上位4チームに入っての準々決勝進出が第一の目標になる。

主将の柳田、欧州から復帰の理由

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