選挙で勝った「51」、負けた「49」をどう背負う?

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 5日は東京都知事選の投開票日。社会学者で立命館大准教授の富永京子さんは、「選挙の後」の振る舞いに注目します。「政治は勝った51がどれだけ残りの49を背負うかだが、いまは勝った51がその51のために政治をしている」というある議員の言葉をひき、「51の側になれば49を引き受ける方法を考え、49の側になれば自らの意思を51の側に伝え続ければよい」のではないかと。

寄稿 富永京子・立命館大准教授(社会運動論)

 とみなが・きょうこ 1986年生まれ。専門は社会運動論。近著に「みんなの『わがまま』入門」や「社会運動と若者」。

 「なぜ就職せず、大学院に進学したのか?」と聞かれることがある。そのたび「何かを断言するのに向いていないと思ったから」と返す。もちろん、研究者も社会に対し断言しなくてはならないときがあるし、仮に一般企業や官庁に就職しても決断や明言をすぐに迫られるわけではない。ではなぜ就職と「何かを断言すること」を結びつけたのかというと、学生時代、政治家の人々と過ごした影響が大きい。私の出会ったわずかな範囲の話で恐縮だが、性別や与野党、地方と国会の別を問わず、政治家はとにかく「断言」する人たちだ、というのが幼い私の印象だった。

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 6月に公開された映画「なぜ…

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