太宰治ゆかりの旅館、100年の歴史に幕 コロナ余波

平井茂雄
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 作家の太宰治(1909~48)ゆかりの宿として知られる千葉県船橋市の「割烹(かっぽう)旅館玉川」(同市湊町2丁目)が閉館した。100年の歴史を持つ老舗旅館の廃業にも新型コロナウイルスの影響は影を落とし、セレモニーなどは開かれず、ひっそりと幕を下ろした。

 玉川は1921(大正10)年に小川與市が料亭として創業した。屋号の「玉川」は與市の父・紋蔵の素人相撲のしこ名から取ったという。

 楼閣風の木造建築で、昭和の風情が色濃い外観が特徴で、市中心部の名所的存在だった。41(昭和16)年建築で2階建ての本館(建築面積約65平方メートル)と、28(昭和3)年建築の平屋建ての第1別館(約230平方メートル)、33(昭和8)年建築で2階建ての第2別館(約361平方メートル)に、約40の客室と約100畳にもなる大宴会場などがあり、3館ともに国の登録有形文化財に指定されている。

 また、敷地内には2メートルほどの段差があり、そこにある石垣は昭和初期まであった船着き場の跡で、当時は海が敷地に隣接して舟遊びも楽しめたという。

 昭和初期には旧陸海軍の軍人らでにぎわった。35(昭和10)年ごろには、当時船橋に住んでいた太宰が「桔梗(ききょう)の間」に20日間ほど滞在し、小説を執筆。しかし、費用を払えなかったため、当時の女将(おかみ)が本や万年筆をカタとしてもらってお引き取り願った、との逸話も残る。太宰が残した品は、76(昭和51)年の火災で焼失したが、桔梗の間は当時のまま残る。

 その後も東京の避暑地としての利用客なども多かったが、数年前から宴会の需要が減って売り上げも減少し、建物も老朽化。特注の数万枚ある屋根瓦の張り替えだけで億単位の資金が必要なことなどから、4月30日での閉館を決めた。

 近年は近くに建った高層マンションの影響からか、台風などによる風の強さが増し、「恐怖を感じるほどだった」という。3月から4月にかけて新型コロナでキャンセルが相次いだことも影響したという。

 19日に会見した小川了社長(71)は「良い食事、楽しい時間を提供できるように努力してきたが、経営は厳しさを増すばかりで断腸の思い。ここまでやってこられたのは地元の方々のお陰」。姉で3代目女将の長野與子(ともこ)さん(73)は「ここで生まれ育ち、子どもの頃は親に相手をしてもらえなかったので、旅館は好きではなかった。でも、女将になってお客さんが楽しんでいるのを見るのが好きだった」と話し、「昔は旅館の前が海で、潮風が入ってくる廊下を芸者さんたちが歩いていた姿を今も思い出す」と懐かしんだ。

 建物は6月から取り壊しを始め、今年中に更地になる予定という。社長と女将は「2001年に、創業80周年と先代女将の80歳のお祝いを百数十人で盛大に開いたのが大きな思い出。そのときに、『100年までは』と思っていたが、それはできたので、ホッとしている気持ちもある」と話した。(平井茂雄)

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