27年後、マスクになった浴衣 孫が縫う祖母のぬくもり

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若松真平
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 名古屋市南区にあった大衆食堂「中井屋」。7坪ほどの小さな店を片山八千代さんが1人で切り盛りしていました。

 「何でもやれることは今やらなきゃダメ」が口癖で、午前2時に起きて米を炊き、3時間後に開店。棚に並んだおかずはどれも1品100円で、朝からトラック運転手たちが集う店でした。

 「大正琴が好きで、よく歌舞伎や演劇を見せに連れて行ってくれたおばあちゃんでした」。そう話すのは、孫娘で名古屋の市立小学校で非常勤教員として働く久米貴美子さん(53)です。

 裁縫も得意で浴衣やワンピースを作ってくれたり、帽子を手編みしてくれたり。中学校の制服を高校用そっくりにリメイクしてくれたこともありました。

 貴美子さんがピアノを習いたいと言えば、喜んで教室に通わせてくれて、大学卒業後に企業に勤め始めたときは「せっかくお金かけてピアノを習ったのに」と残念がりました。

 1993年4月23日、中井屋でいつものように働いていた八千代さん。客が一段落した午前8時ごろ、朝ご飯を食べようとしたところで突然倒れ、意識を失いました。

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 お客さんが救急車を呼んでく…

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