日本の家は木と紙と草で…東京大空襲、米軍の周到な戦略

有料記事空襲1945

抜井規泰
[PR]

 1945(昭和20)年3月10日の午前0時過ぎ、東京大空襲が始まった。

 米軍の爆撃機B29が東京を襲い、下町を火の海にした。炭のようになって焼け死んだ人、川に飛び込んで水死した人……。犠牲者は10万人ともいわれるが、いまだにはっきりとした死者数は分かっていない。

 日本との戦争をどう終わらせるか。空襲研究の第一人者、工藤洋三氏は「米軍は都市を焼き尽くすことで継戦能力や戦意をそぐ作戦に出た」と語る。

【動画】街を焼き尽くした焼夷弾とは。CGや資料映像で解説=ナレーション・高橋大作

 柱、障子、畳――。日本の家は木と紙と草で出来ている。火を付ければ燃える。米軍はそこに目をつけた。火災を起こすための爆弾「焼夷(しょうい)弾」を開発した。

「焼き尽くすため」関東大震災の大火を研究

ここから続き

 何カ所で火の手が上がれば…

この記事は有料記事です。残り1734文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

空襲1945

空襲1945

あのとき、日本中が戦場だった。東京・大阪・福岡など各地の写真300枚や映像、データマップで惨禍を伝えます。[もっと見る]