障害ある子生まれ「おめでとう」と言えますか 木村議員

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聞き手・森本美紀
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 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で利用者19人の命が奪われるなどした事件の判決が、16日に予定されている。元職員である被告の言葉をどうみるか。事件が繰り返されないためには――。重い身体障害があり、18歳までの大半を施設で暮らした、れいわ新選組の木村英子参院議員(54)は、障害のある子の誕生に「おめでとう」と言える社会かどうかを問う。どういうことなのか。

殺されていたのは私かも

 彼の言葉は心の傷に触れるので、集中して公判の報道を見ることができませんでした。施設にいたころの傷ついた自分の気持ちに戻っていくのです。

裁判で被告は「意思疎通のとれない人は社会の迷惑」「重度障害者がお金と時間を奪っている」などと語った

 彼が言っていることはみなさんにとっては耳慣れなくて衝撃的なのでしょうが、同じような意味のことを私は子どものころ、施設の職員に言われ続けました。生きているだけでありがたいと思えとか、社会に出ても意味はないとか。事件は決してひとごとではありません。19歳で地域に出ていなければ、津久井やまゆり園に入所していたかもしれない。殺されていたのは私かもしれないという恐怖が今も私を苦しめます。

 私は横浜市で生まれ、生後8カ月のときに歩行器ごと玄関から落ち、首の骨が曲がる大けがをして重い身体障害を負いました。小学5年から中学3年の5年間を除き、18歳までの大半を施設で暮らしました。

 入所は親が決めました。重い障害のある私に医療や介護を受けさせたいという責任感と、施設に預けなければ家族が崩壊しかねなかった現実からです。私には24時間の介護が必要です。親は疲弊し、一家心中をしようとしたことも何度かあった。親が頼れるのは施設でした。

 やさしい職員もいましたが…

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