日本軍が上陸した砂浜 埋もれかけた記憶、拾い集めたい

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染田屋竜太

 丸顔に丸眼鏡。体全体から人のよさがあふれ出ている。「日本の方に来てもらって本当にうれしい」。ザフラニ・アルフィンさん(47)は満面の笑みで迎えてくれた。

 「日本の人はどのくらいこの場所のことを知っていますか」。ザフラニさんが生まれ育ったマレーシア北東部コタバルは1941年12月、真珠湾攻撃の約1時間前に日本軍が上陸した場所だ。2カ月余りで英植民地だったマレーシアとシンガポールを占領したマレー作戦はここから始まった。「真珠湾を知っている地元の人もコタバルの歴史には詳しくない」と顔を曇らせる。

地元の声にを傾け

 ザフラニさんはふるさとで歴史を掘り起こす作業を20年以上続ける。激しい戦闘があった砂浜を歩き回り、銃弾や爆弾の破片を拾い集めた。英国や日本からも資料を取り寄せ、両国の軍隊がどう戦ったのか、地図に書き込んだ。コタバルの歴史博物館はザフラニさんが寄付した戦時品や資料がほとんどだ。

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 最も大切にするのは、当時を…

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