「電気が消えた?」41歳で失明 2回の手術で求めた光

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 千葉市の市中央図書館で働く大川和彦(おおかわ・かずひこ)さん(49)は先天的に眼球が小さい「小眼球症」。生まれつき左目は見えず、右目は白内障弱視でした。生活に不便を感じていませんでしたが、30代に入った頃から緑内障を発症し、視力が悪化。41歳の時、わずかに見えていた右目も網膜剝離(はくり)で失明してしまいます。重なる手術、見えなくなってからのリハビリ。前向きに進んでいく姿を追いました。

盲学校では「見えるほう」

 大川さんは、小学部から千葉県立千葉盲学校に通った。ただ、当時は、視力は0・1近くあり、生活に不便はさほど感じていなかった。

 視覚障害者が使う白杖(はくじょう)は持っていたが、使わなくても歩くことはできた。白杖は、もっぱら通学路で振り回して遊ぶものだった。学校では、点字も習ったが、自身は、ルーペを使えば文字を読むことができたため、実際に使うことはなかった。眼鏡もかけていなかった。

 「学校では、自分は見えているほう。どちらかというと、友だちを助ける役割でした」

 高校時代には、盲学校の生徒を対象にしたプログラムで、米国に1年間留学した。世界中から視覚障害のある同世代が集まっていた。授業では、パソコンを使って文章を音声で聞く方法なども学べた。当時、日本では取り入れられていなかった先進的な内容だった。

 全盲の友だちは「これはすごい」と感心していたが、大川さんは目で文章を読むことができていたこともあり、その価値がピンとこなかった。それよりも、英語でのコミュニケーションとディスカッション形式の授業についていくことに苦労した。

 帰国後、高等部を卒業し、あんま・鍼灸(しんきゅう)などの技術を習得する同校の理療科へ進学した。3年間学んだ後、千葉市内の病院に就職した。入院している患者の移動時などの手伝いなどをする職員として、約5年働いた。

 転職を考え始めたころ、千葉市が障害者を対象に職員を募集をしているという新聞記事を、父親が見つけてきた。「ちょうどいいな。受けてみよう」

 1998年春に採用され、図書館へ配属された。最初は、自宅から歩いて通える市内の地区図書館。約3年後、新しくできた市中央図書館(同市中央区)へ異動になった。

 そのころからだった。それまで子どものときから変わらずに維持されていた視力が、一気に悪くなり始めた。

突然の闇、何が起きたかわからず

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 ルーペや拡大読書器を使う必…

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