吉備真備筆?の墓誌、中国で発見 留学中書かれた可能性

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北京=高田正幸
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 奈良時代の高級官僚で政権中枢で政務を執り、2度も遣唐使として唐に渡った吉備真備(きびのまきび)が筆をとったとみられる墓誌(ぼし)(死者の簡単な伝記)が、中国国内でみつかった。所蔵する博物館などが25日、北京で発表した。8世紀前半に真備が留学生として中国滞在中に書かれた可能性が高く、真備の書とすれば国内外で初めて確認されたことになる。中国人の墓誌の銘文を日本人が書いたことが確認されたのも初めて。これまで真備の留学生活を探る文献史料は乏しく、古代東アジア関係の実像を伝える貴重な史料として注目される。

 墓誌は深圳望野博物館が2013年に入手したもので、長さ35センチ、幅36センチ、厚さ8・9センチの石に計19行、計328字の漢字が刻まれていた。唐王朝で外国使節の接待などをつかさどる「鴻臚寺(こうろじ)」という役所の中級官僚だった李訓(りくん)の墓誌で、開元22(734)年6月20日に死去し、同年6月25日に埋葬されたと記される。

 末尾の1行に「秘書丞(ひしょじょう)褚思光(ちょしこう)文」と「日本国朝臣(あそん)備書」とあり、墓誌の文章の作成者が「褚思光」という中国人で、その文章を書いたのが「備」と呼ばれる人物と読み取れる。日本人研究者によれば、遣唐使の場合、現地で中国風に名前を変えるケースがみられ、吉備真備も「真備」と呼ばれていた可能性がある。日中の研究者は、日本の王朝での地位などを示す「朝臣」が記されていることなどから、真備の書いた可能性が高いと判断した。

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 また、唐の時代の墓誌に「日…

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