安倍晋三首相が20日に記録を塗り替えるまで、憲政史上最長の通算在職日数の記録を保ってきたのは、山口県出身の桂太郎だ。明治後期から大正初期に3回組閣。首相として日露戦争や韓国併合などを行ったが、長く在任した割に知名度はいまひとつ。どんな人物だったのだろうか。

 山口県萩市に残る桂の旧宅を、11月中旬に訪ねた。古い家々が立ち並ぶ街並みの一角で、高さ約2メートルの桂の銅像が西日を受け、たたずんでいた。桂は後に拓殖大学となる台湾協会学校を創設。銅像は明治天皇から拝受した恩賜(おんし)金について教職員や学生らに読み聞かせる姿だ。

 桂は長州藩毛利家の重臣の家に生まれた。戊辰戦争を経て明治初期にドイツに留学。軍事を学び帰国後、陸軍に入った。同じ長州出身の軍人、山県有朋の派閥で頭角を現し、台湾総督や陸相などを歴任した。1901年6月、11代首相に就いた。

 06年1月までの1次政権では、日本商工会議所の前身となる商業会議所の設置法を成立させたほか、日英同盟を結び、日露戦争に勝利。だが、講和の時に賠償金などを得られず、日比谷などで国民の暴動が起き、その後、退陣した。

 08年7月~11年8月の2次…

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