「天皇焼いて踏んだ」批判は残念 作者が思う芸術と自由

有料記事トリエンナーレを考える

聞き手=いずれも編集委員・塩倉裕
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 批判や脅迫で一時は中止に追い込まれた、あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」。大浦信行さんの映像作品「遠近を抱えて PartⅡ」も、作中で「天皇の肖像を焼いた」と抗議の対象になっている。天皇と表現をめぐり30年以上も格闘してきた大浦さんの目に、この国の“自由”はどう映っているのか。

 ――「表現の不自由展・その後」は、中止・再開という異例の展開を見せています。今回、一番驚いていることは何ですか。

 「令和と呼ばれる時代になっても日本の人々の中に天皇タブーというものがこんなに根強く残っていたのか、ということです」

 ――そこで言う天皇タブーとはどのようなものでしょう。

 「芸術、表現の中で天皇を扱うこと自体が認められない、そんな風潮です。どのような動機からであれ、どのような形であれです」

 ――表現の具体的な中身に問題があるから、ではないのですか。

 「そうとは限りません。昭和天皇が存命だった時期には、劇映画で昭和天皇を正面から演じること自体がほぼ不可能でした」

 「表現する側の自主規制が大きいと思います。表現の中に天皇を入れることは不敬だと実は多くの人が思っているのではないでしょうか。ふだんは意識の底に眠っているその感覚が、僕の映像をきっかけにして噴き出したと見ています。天皇を神聖視する感覚。近代に明治政府がつくった『日本は神聖な天皇を頂く国家だ』というイメージに由来するものでしょう」

 ――今回大浦さんの映像は、昭和天皇の肖像写真を焼き、灰を靴で踏みにじったものだという批判を受けていますね。実際、天皇の肖像を焼いたのですか。

 「いえ。燃えているのは僕の…

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