延岡で人知れず破壊実験「誕生はあの瞬間」 吉野さん
ノーベル化学賞を受賞することが決まった旭化成名誉フェロー、吉野彰さん(71)のリチウムイオン電池開発では、同社発祥の地、宮崎県延岡市だからこそできた「ある実験」が重要なカギを握った。
リチウムを使う電池は条件によって発火リスクが高まり、安全面が実用化の壁だった。1985年発案のリチウムイオン電池は安全性を高めていたが厳しい確認試験が欠かせなかった。
ただ、当時の研究拠点は川崎市の石油化学コンビナート地帯にあり、発火の恐れがある実験は難しい。近くを流れる「多摩川の河原でやれば」との意見も社内では出たが、消防の許可が必要で、「内緒でやると新聞沙汰になるとわかり、断念した」と、吉野さんは著書「リチウムイオン電池物語」で振り返る。
白羽の矢が立ったのが、延岡市にあった同社の化学薬品部門のダイナマイト試験場だ。電池の上から鉄のかたまりを落としたり、ライフル弾を貫通させたりする「破壊試験」を繰り返して安全性を確認した。
「延岡市のはずれでリチウムイオン電池が世に出られるかどうかを決める、更には私の人生を左右する大事な実験が人知れず行われていたのである」(同書)
9日に旭化成東京本社であった受賞会見で、吉野さんは延岡での実験を「本当の意味でリチウムイオン電池が誕生したのは、あの瞬間かなと思っています」と振り返った。
旭化成は1923年、延岡で…