秀吉が弟への掟書「乱暴するな」 未来の重鎮に配慮

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華野優気
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 羽柴(豊臣)秀吉が織田信長の家臣として中国地方を攻めた戦い(中国攻め)の際、従軍していた弟の秀長に宛てた掟書(おきてがき)が岡山県倉敷市でみつかった。備前(現岡山県東部)の大名で織田側についた宇喜多(うきた)氏の領内を通るときに兵に乱暴などを起こさせないように命じた内容で、天下統一前の秀吉の戦いぶりを示す貴重な史料だ。掟書は愛媛県西予市の県歴史文化博物館で開催中の特別展で、11月24日まで公開されている。

 岡山県教育委員会によると、掟書は縦27・5センチ、横39センチ。倉敷市のお寺の龍昌院(りゅうしょういん)が市内の関係先で発見し、県教委が調査し、字体や花押などから秀吉の文書と判断した。

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 記されていた日付は、秀吉が…

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