秀吉認めた「女領主」 宗像大社大宮司への書状見つかる

有料記事

[PR]

 世界遺産になっている福岡県・宗像(むなかた)大社の大宮司を代々輩出した宗像氏の当主、宗像才鶴(さいかく)にあてた豊臣秀吉の書状2通が、熊本県多良木(たらぎ)町の旧家で見つかった。町教委が18日発表した。才鶴は宗像氏最後の大宮司、氏貞(うじさだ)の妻とみられ、秀吉が女性を武家の当主と認めた珍しい文書として注目される。

 2通は秀吉の花押(かおう)(サイン)入り書状(判物(はんもつ))と朱印状で、肥後(現在の熊本県)藩主の細川家に仕えた宗像家に代々伝わるもの。同町に住む子孫から町に寄贈の申し入れがあり、九州大学比較社会文化研究院の学術研究者、花岡興史(おきふみ)さんらが調査していた。

 氏貞は、秀吉の九州平定前年の1586(天正14)年に急死した。判物は同じ年のものとみられ、当時、秀吉に抵抗していた南九州の島津氏の北上を阻止したことを称賛し、領地を保証する内容。朱印状は宗像氏が上方に軍勢を派遣する際、浅野長政に相談するよう指示している。いずれも才鶴にあてられ、秀吉が宗像家の当主と認めていたことが分かる。

ここから続き

 才鶴の名は、他家に伝わる書…

この記事は有料記事です。残り699文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら