今田幸伸
徳大寺有恒(ありつね)は私です――。1977年10月、東京・紀尾井町。前年の11月に刊行された『間違いだらけのクルマ選び』の著者が、記者会見で正体を明かした。自動車業界紙は「“徳大寺”氏は終始、緊張気味」だったと報じた。
本名・杉江博愛(ひろよし)。初の著書を「覆面」で出したのは、メーカーなどの逆鱗(げきりん)に触れて自動車評論家としての仕事を干されないかと懸念した版元の配慮からだった。
「ユーザーが正しく判断したら、この陳腐さではこれだけの商売はできないだろう」(トヨタ・カローラ)、「こんなクルマでも見捨てずに買ってくれるユーザーがいるというのだから、ただ感心するばかり」(日産・バイオレット)。辛辣(しんらつ)な批評が読者をつかんだ。著者がベールを脱いだ時点で76万部。直後に出た続編と合わせてミリオンセラーになった。
刊行の年、日本の乗用車生産台数は500万台を、自動車保有台数は3千万台をそれぞれ超えた。勤め人でもマイカーを持つのは普通のこととなり、ユーザーの目も肥えていった。一方で排ガス汚染や交通事故の増加など、車を巡る社会問題も顕在化した。
「中学生のころ読んだけど、僕の好きな車に対してあまりに厳しくて。こんな本は読むまいと思いました」とモータージャーナリストの島下泰久さん(47)は振り返る。だが後年、この本と思いがけない縁を結ぶことになる。
徳大寺さんがとりわけ厳しい目…