「戦後最大の冤罪」70年後の証言 志賀も川端も動いた

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柳沼広幸
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 今から70年前の8月17日未明、旧国鉄東北線の金谷川―松川間で青森発上野行き旅客列車が右カーブで突然脱線し、転覆した。先頭の機関車はあお向けになり乗務員3人が死亡した。何者かがレールの継ぎ目板や犬クギを引き抜いて破壊していた。後に戦後最大の冤罪(えんざい)事件と言われる「松川事件」の発生だ。

 「自白がうそであることを百も承知で事件を作り上げ、それを利用して私たちを弾圧した。権力の犯罪だった」。事件で逮捕・起訴され、一審で死刑判決を受けた福島市の阿部市次さん(95)は警鐘を鳴らす。無罪を勝ち取ったが、保釈されるまで約10年間、勾留された。

 なぜ逮捕されたのか。裁判まで分からなかった。線路破壊の実行犯とされた被告(当時19)の自供で、阿部さんも共謀していたとされた。この自供をもとに、国鉄と東芝松川工場の労働組合の幹部ら計20人が逮捕・起訴された。

 当時は戦後の混乱期で連合国軍総司令部(GHQ)の支配下にあった。復員などで国鉄や東芝は人員が多く、大規模な人員整理を進めていた。労組や共産党は大量解雇に反対し、激しく対立していた。

何もしていないのに死刑

 国鉄は7月に約9万5千人の人員整理を発表。下山定則国鉄総裁が同6日、常磐線綾瀬駅近くで列車にひかれた状態で見つかった(下山事件)。15日には中央線三鷹駅で無人の電車が暴走して6人が死亡した(三鷹事件)。

 不穏な状況下で松川事件が起きた。警察や検察は、労組や共産党の動向も調べていた。阿部さんは「共産党員だから狙われた」と、事件は権力側の弾圧だと思っている。

 裁判で、実行犯とされた被告は一転して自白を全面否定。「警察の人に脅かされ、松川事件をいわないと一生監獄にぶち込むぞなどといわれた」と、脅されてうそをついたと主張した。

 だが、事件から1年4カ月後…

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