ロザリオ残し母は逝った 「地獄さ」耳から離れない言葉

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榎本瑞希・29歳

ナガサキノート:山田英子さん(1928年生まれ)

 今年2月、長崎市の聖フランシスコ病院で、1人の女性が生涯を閉じた。山田英子(やまだえいこ)さん、90歳。遺影はあらかじめ、自分で選んであった。

 長崎に原爆が投下されたとき、英子さんは長崎純心高等女学校(現・純心女子高)に通う16歳だった。親戚や大勢の級友を亡くした。その記憶を公の場で話したことは一度もなかった。

 それでも、「残したい」と思った人がいた。ずっと一緒に暮らしてきた末娘の哲子(てつこ)さん(53)だ。晩年の母から体験を聞きとり、およそ1700字にまとめた。

 哲子さんは5月17日、体験記を寄贈しようと国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪れた。祈念館で調べ物をしていた記者は、哲子さんと職員のやりとりを偶然耳にし、哲子さんに取材を申し込んだ。

 英子さんは、どんな女性だったのか。哲子さんはなぜ、体験を残したいと思ったのか――。

潜伏キリシタンだった祖先

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 英子さんの旧姓は「畑田」…

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