栃木)疎開ピアノの集い今年も 戦中の思い出語り継ぐ音

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梶山天
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 戦時中の1944年に東京から藤原町(現日光市)に疎開した1台のピアノ。一緒に疎開した国民学校の児童約200人は終戦後に帰ったが、ピアノはそのままお礼として贈られた。10年前に修理してよみがえり、年1回のピアノの集いが始まった。今年も4日、川治地区コミュニティセンターで開かれる。

 ピアノは東京都港区の旧南海国民学校(現御田小)から川治小・中学校の前身の国民学校に疎開した。しばらく使われていたが、その後は半世紀以上、校舎の片隅でホコリまみれになって忘れ去られていた。2009年、閉校準備の片付け中に見つかった。

 ふたには「贈呈 学童集団疎開記念 東京都南海国民学校 昭和19年8月」の板が張られていた。元川治自治会長で卒業生の関本昭さん(78)らが「苦しい時代に都会と田舎の人々がつながった思い出の品。捨てるのは惜しい」と市教育委員会に相談し、地元で保存することになった。

 閉校式で疎開ピアノの伴奏で…

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