芥川賞作家が語る「二重被爆」 国家総動員下の「必然」

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聞き手・佐々木亮
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 広島と長崎で2度原爆に遭った「二重被爆者」を撮り続ける映画監督、稲塚秀孝さん(68)の8年ぶりの記録映画「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」が完成し、各地で順次公開中だ。自身や家族の二重被爆の体験をカメラの前で初めて証言した人たちが登場する。芥川賞作家で前長崎原爆資料館長の青来(せいらい)有一さん(60)も、その一人。二重被爆した祖父のことや映画に託した思いを聞いた。

     ◇

――おじいさんの二重被爆について長い間、知らなかったそうですね。

 2009年に父が亡くなった後、親類と父の思い出話をしていた時、祖父が「広島でも被爆して、長崎でも被爆した」と叔母から聞き、驚いたことを覚えています。

 そのころ、稲塚秀孝さんが制作し、山口彊(つとむ)さんが出演した映画の第1作「二重被爆」(2006年)も見ていたので、そんな話題になり、叔母も祖父の被爆のことを思い出したのではないかと思います。

――おじいさんは、どのような経緯で二重被爆したのでしょうか?

 祖父は長崎の三菱造船所の現場で働く、いわゆる「職工」でした。47歳の時、広島の造船所に手伝いで出向している時に被爆し、長崎に帰ってきてふたたび被爆したようです。

 祖父とは私が小学生の頃から一緒に住み、私が中学生の時に亡くなりました。

 いつもおだやかでしたが、口数は極端に少ない人でした。耳が遠かったので聞こえづらいということもあったのかもしれません。

 広島の被爆体験だけでなく、長崎での被爆の話も聞いたことはありません。祖父が、どこでどんな状況で被爆したのか、どんな気持ちだったか、何を考えていたのか、今となってはまったく分かりません。

――今作は、二重被爆を追った…

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