太平洋戦争末期、全国各地に造られた「秘匿飛行場」。本土決戦を見据えて秘密裏に建設されたが、米国立公文書館から鳥取県倉吉市の秘匿飛行場の空撮写真が見つかったことがわかった。米軍には丸見えだったことを物語り、専門家や関係者は本土決戦の無謀さを示す証拠だと指摘する。
各地の空襲の実態を調べ、多数の関連著書がある工藤洋三・元徳山高専教授(69)が2011年、米軍の記録から、米軍が倉吉の秘匿飛行場を偵察していたことを把握。今年4月、米国立公文書館で、米軍が戦時中に撮影した大量の空撮写真の中から、倉吉の写真を入手した。
写真に添えられた報告書によると、倉吉を偵察したのは米陸軍第3写真偵察戦隊に所属する偵察機F13。1945年8月6日、上空約9500メートルから撮影し、付近に掩体(えんたい)(敵の攻撃から飛行機を守る施設)や駐機場はなく、飛行機も見当たらないと報告している。
写真には「KURAYOSHI AIRFIELD」(倉吉飛行場)と記載があり、コード番号「90・26―2631」が付けられている。工藤さんによると、飛行場名を特定し、コード番号もあることから、撮影前から米軍は倉吉の秘匿飛行場を認識していた可能性が高いという。秘匿飛行場は全国に40ほどあったとされ、倉吉とは別のいくつかの秘匿飛行場についても米軍が空撮した写真が残されていることが分かっている。それらの写真にも同様にコード番号などが記載されているといい、米軍が各地の秘匿飛行場を認識していたとみられるという。
「日本の秘匿飛行場は、ほと…
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