「くされの子」と呼ばれ ハンセン病訴訟の原告団長語る

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小川直樹
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 ハンセン病の元患者の家族561人が国に損害賠償と謝罪などを求めた集団訴訟が、28日に熊本地裁で判決を迎える。元患者だけでなく、家族も差別や偏見に苦しみ続け、家族離散にも追い込まれてきた。そんな一人である原告団長で長崎県出身の林力さん(94)=福岡市=に、判決に寄せる思いを聞いた。

 林さんは大村市で生まれた。昭和初めの不況で父が事業に失敗し、幼少期に福岡市に移ったが、生活は苦しいままだった。父がアイスや牛のホルモンを売り歩いた記憶が残っている。

 林さんが小学校低学年のころ、父の体に異変が起きた。手が内側に湾曲し、汗が出なくなって暑がるようになった。ちょっとした傷口もなかなか治らない。「くされの子」と呼ばれると、林さんは相手を必死で追いかけた。

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 1937年夏、父は鹿児島県

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