ゴリラと文学ってそう違わない 小川洋子×山極寿一対談

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聞き手・山崎聡
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 ゴリラが専門の霊長類学者で京都大学総長の山極寿一さんと、小説家の小川洋子さんの対談本『ゴリラの森、言葉の海』(新潮社)が好評だ。京都で開かれる河合隼雄物語賞・学芸賞(河合隼雄財団主催)の選考委員として出会い、意気投合。ゴリラと言葉をめぐる対話で浮かび上がったのは、「言葉にならない大切なこと」だった。お互いの共通項から、文明論へ――。濃密な対話を一挙公開します。

 ――対談はどのようにして始まったのでしょう?

 山極寿一(山) 小川さんが河合隼雄物語賞の選考委員で、私が学芸賞の選考委員。物語賞と学芸賞は別々に審査をしますから、会って話をする機会がないんですよ。受賞作発表のときにやっと顔を合わせて、お互いどういう作品を選んだのか、その理由を述べ合いました。そういうことをきっかけにして、いろいろと会話をするようになったんですね。それがとても面白かった。それで実際、イベントで対談してみようかという話になったんだと思います。

 ――それが計4回もの対話につながって、最後はお二人で屋久島も訪れました。

 山 まあ、成り行きだね(笑)

 小川洋子(小) そうですね(笑)。でも最初の、お客さんを入れた公開対談ですと、どうしても時間に区切りがありますし、一応あらかじめ考えていた話の流れを追いながらということになりますから、私のほうに欲求不満がたまって。もっとざっくばらんに脱線しながらやりたいな、という気持ちがあって、2回目3回目と。こちらからお願いしたようなかたちです。

おがわ・ようこ 1962年生まれ。作家。91年「妊娠カレンダー」で芥川賞、2004年『博士の愛した数式』で本屋大賞など。新刊は堀江敏幸さんとの共著『あとは切手を、一枚貼るだけ』。

 山 最後に屋久島にお連れしたのはね、小川さんは言葉のプロだけど、僕は言葉にならないものを扱っている。動物の世界を描こうとしている研究者なので、こちらの世界にちょっと踏み込んでもらいたいなと、知ってもらいたいなという気持ちがあったからなんです。

言葉ではすくい取れなかった

 ――ゴリラと言葉は一見ミスマッチですが、言葉を持たないゴリラを見つめることで、言葉にとらわれる私たちが浮かび上がってきます。

やまぎわ・じゅいち 1952年生まれ。ゴリラが専門の霊長類学者。京都大学総長。日本学術会議会長。『父という余分なもの サルに探る文明の起源』など著書多数。

 山 言葉は、動物たちが様々な種類のコミュニケーションをしているうちの、わずかな一部分でしかないんです。でも、人間はそれを、現代では非常に大きなものとして扱っている。僕がゴリラと会話をするときには言葉を使うわけにはいかない。そうすると、これまで言葉として使っていた能力をいったん覆い隠して、言葉以外の能力でゴリラと通じ合わないといけない。向こうの立場に立って、どういうふうな行動をしたらいいのか、相手の心を探り当てたらいいのか、ということを考えるわけです。そのときに、普段見えていなかったものが見えてくる。それが、人間が言葉ではすくい取れなかったものだという気がしますね。それをいま、人間は言葉を多用することによって、忘れ去ってしまっているという気がする。

 特に文字というのは、作家を前にして失礼かもしれませんが、言葉をさらに抽象化したものですよね。それは書き手の意図を離れて読者のものになっていく。そのあいだに直接的なコミュニケーションはないわけじゃないですか。本は読んだ人が主体になる。書いた人の思惑はどこかで消えていって、読者がそれを解釈し、判断し、自分のものにしていく過程があって、そこには大きなギャップが存在する。でも、我々の会話というコミュニケーションも、言葉を通じ合わせない動物との対話も、その瞬間瞬間がすべてなんですよね。そういうことを、言葉や文字へとだんだん抽象化するにしたがって、人間は忘れようとしているという気がしますね。

 ――小川さんは、言葉で小説を書きながら、言葉では届かないところを意識しているとおっしゃっています。

 小 ええ。契約書などで言葉を実用的に使う場面では、書いてあることを正確に受け取ることが第一で、それ以上のことはくみ取らないんですけれど、文学の場合は、そこに書かれていないことをすくい上げても、それが許される。むしろ、それを常に求めているのが文学なんです。言葉にできないことを言葉にしようとしているということでいえば、ゴリラとコミュニケーションをとることと、実はそんなに違わないというふうに思うんですよね。

 山 すごく共通性を感じたのは、僕はゴリラを観察しながらストーリーを頭のなかで作ってるわけだけど、主人公は常にゴリラなんですよね。ゴリラの物語を科学的に紡ごうとしている。一方で、小川さんは主人公を作って物語を展開していくわけだけど、小川さん自身が主人公になるわけではない。その距離の置き方が、非常に近いんです。もちろん小川さんが作るのはフィクションだから、主人公は架空のものであるはずなんだけど、それをずっと見つめている小川さんの目というのが、私が現実にゴリラと会って、ゴリラと距離を置きながら行動を追っているときの目と近いんだよね。それはすごく感じました。

 小 自分を主人公にするということは非常に苦しいことで、自分を主人公にしなくても成り立つ時間というのが、実はすごく必要なんだと思うんですよね。私は小説を書いているから、それが得られる。ラッキーだなと思います。

 山 僕がすごく感動したのは、はじめからストーリーがあるわけじゃなくて、書いているうちに新たな展開が見えてくるとおっしゃっていたことです。僕らもいろんなことを追いながら、ある頂上に立つと、また次の未踏峰が見えてくる。展開の仕方を自分のなかで決められない。ゴリラ本位なんですよ。そこも大変よく似ていると思いました。

山極さんが「我々の身体はまだ縄文時代にいる」と語れば、小川さんは「ゴリラには『今』しかないんですよね」と問う。ゴリラたちの写真もまだまだあります。

 小 仮説は立てるんですけど…

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