被害者支援、やり残した課題 神戸連続児童殺傷22年

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後藤遼太
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 1997年に神戸市須磨区で小学生5人が相次いで襲われ、2人が殺された神戸連続児童殺傷事件で、土師淳君(当時11)が亡くなってから、24日で22年となる。淳君の父の守さん(63)は、昨年解散した「全国犯罪被害者の会」(あすの会)の取り組みを受け継ぐ会の立ち上げに加わり、新たな時代の被害者支援のあり方を問い続けている。命日を前に朝日新聞の取材に応じた。

神戸連続児童殺傷事件

1997年2~5月、神戸市須磨区で発生。児童5人が襲われ、小学4年の山下彩花さん(当時10)と6年の土師淳君(当時11)が殺害された。殺人などの容疑で逮捕された当時中学3年だった少年はその後、医療少年院に送致され、2005年に本退院した。

 淳君の命日を前に、元号が平成から令和へと変わった。「淳の事件をはじめ、平成は少年による事件も含め、凶悪な犯罪が数多く発生した時代だったと思います」と守さんは振り返る。

 淳君の事件当時、「被害者支援は欧米より30年遅れ」と言われた。そうした中、97年に妻を殺害された岡村勲弁護士や99年の山口県光市母子殺害事件の遺族の本村洋さんらを中心に2000年、「あすの会」が発足。守さん自らも長らく副代表幹事を務めてきた。

 会が集めた約56万人分の署名は、犯罪被害者基本法制定(04年)の原動力となり、刑事裁判への被害者参加(08年~)なども実現。しかし、昨年6月、会員の高齢化などもあって18年余りの活動を終えた。

 日本の犯罪被害者支援は「いまだに多くの課題はある。『あすの会』の成果を、未来へ受け渡していく必要があると思いました」。そんな思いから、守さんは「あすの会」解散の約1カ月後、関西の元会員ら約40人と「犯罪被害者の会」を結成。通称を「つなぐ会」と決めた。

 「署名活動や政策提言で社会…

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