高校野球、熱狂は戦前から? 白黒写真読み解くトリビア

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矢木隆晴 遠藤真梨

 今年で100回を迎える全国高校野球選手権大会。朝日新聞社に残る戦前から戦後の写真を見ると、当時の熱狂ぶりに驚かされます。なにしろ、始まった当初はテレビはおろか、ラジオさえない時代。数少ない娯楽に観客がアツくなるのもわかります。熱闘の原点ともいうべきエネルギーが満ちあふれています。

 大会は、1915(大正4)年、全国中等学校優勝野球大会として大阪府の豊中グラウンドで始まりました。第3回から会場になった鳴尾球場(兵庫県西宮市)が手狭になり、第10回の夏、甲子園大運動場(阪神甲子園球場)ができました。

 大会は、太平洋戦争が始まった41年の地方大会途中で中断。46年に阪急西宮球場で再開されました。48年の30回大会から大会名は現行の「全国高等学校野球選手権大会」に。軍に供出された鉄傘は51年、ジュラルミン製の「銀傘」として復活しています。

 世紀を超えて、観客を魅了し続ける高校野球。また新しい時代が始まります。

スコアボードが「特等席」

 大阪府豊中市で始まった高校野球は、第3回大会から、現在の兵庫県西宮市にあった鳴尾球場に会場を移しました。この写真は、そこで開かれた第8回大会の一幕です。なんと、スコアボードに上って観戦している人たちがいます。しかもこのスコアボード、決して頑丈そうには見えません。大会運営もおおらかだったのかもしれません。

球児に近すぎ?近距離撮影

 本塁に滑り込むランナーとタッチするキャッチャー。奥にしゃがんでいるのは、大きなカメラを構えたカメラマンたちです。よく見ると、クロスプレーを撮ろうと、あわてて走ってくるカメラマンも右側にいます。

 実は昔は望遠レンズがなかったので、こんなに近くで撮影していたのです。現在は望遠レンズも発達して、撮影のための席がありますので、こんなことは起きません。ただこんなに近くで撮影できるなんて少しうらやましいです。

グラウンドで火事?いいえ実は…

 グラウンドにモクモクと立ち上る黒い煙。阪神甲子園球場で火事?いえいえ、これはれっきとしたグラウンド整備なのです。雨でたまった水たまりを、ガソリンで燃やし、蒸発させようとしたようです。あまり効果がなかったようですが、今から考えると発想があまりにも大胆です。

親は野球に夢中で…迷子多数

 「迷子あり 事ム所へ」と掲げる足袋に草履姿の球場関係者。5万人収容のスタンドができた甲子園球場では、迷子もかなりの数にのぼったようです。選手のスターティングメンバーを貼る看板を使って、観客に知らせていました。親を捜してか、スタンドを見つめる子どもの視線がせつないです。

満員の球場、埋め尽くすカンカン帽

 5万人収容のスタンドは、当時流行していたカンカン帽で埋め尽くされました。初期の甲子園球場は、外野スタンドは土塁を固めただけの簡素なもの。観客は少しでも高いところから見ようと、最上部ではビールの木箱やタルに乗って見ていました。そこで生まれたのは立ち見台のレンタルサービス。大会史によると、1箱70銭で、2人ほどが上れたようです。当時の映画館の入場料が50銭とのことですから、結構な収入になっていたかもしれません。

まだまだ続くユニーク写真の数々

球場の壁をよじ登る人々、低空すぎる米軍の祝賀飛行……夏の甲子園で戦前・戦後に撮られた白黒写真には、思わず二度見してしまうカットも満載です。ユニークな写真の数々をお楽しみ下さい。

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